教育福島0037号(1978年(S53)12月)-022page

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(3)愛谷(あいや)遺跡(いわき市好間町愛谷)

 

好間中核工業団地造成事業に伴う発掘調査で、本年一月より開始され、数か年の調査が見込まれ、本県では例のない大規模発掘でその成果が期待される。現在までの調査の結果、縄文時代から弥生・古墳、奈良.平安時代を経て室町時代まで連綿と続く遺跡で、遺構や遺物が多量に検出されている。なかでも室町時代の愛谷館の全容解明が注目される。

 

(4)木幡山蔵王経塚(こわたやまざおうきょうづか)群(安達郡東和町大字木幡字治家)

 

奈良国立博物館に本経塚群出土と伝えられる石製外筒、銅板製経筒が展示されたことがある。今回町史編さん事業の一環として六基の経塚を調査した。その結果、石製外筒片、銅板製経筒片、方鏡片、古銭などが検出され、経塚の中でも比較的古いものと考えられ、十二世紀末のものと推定されている。

 

(5)北の脇(わき)遺跡(安達郡本宮町大字高木)

 

阿武隈川に架かる昭代橋の橋梁建築工事とそれに伴う道路拡幅工事が原因になる発掘調査である。竪穴住居跡十七棟、土師器を焼成したと考えられる遺構等を検出した。土師器製作跡は、最近、全国各地から検出されているが本県では初の検出で注目される。窯としての機能を有していたか不明であり「土器焼成坑(どきしょうせいこう)」として、全国の事例に加えたい。

 

(6)南原(みなみばら)遺跡(河沼郡河東町熊野堂)

 

県営ほ場整備事業に伴う発掘調査で河東村教育委員会が調査主体となった。調査の成果については、すでに報告書が刊行され公表されている。それによると、竪穴住居跡一棟のほか、溝状遺構や集石遺構等の遺構が検出され、多数の遺物が出土している。堅穴住居跡から古式土師器(こしきはじき)が出土し、会津地方では注目に値する。また遺物では、弥生土器片、墨書銘土師器(ぼくしょめいはじき)、円面硯(えんめんけん)破片等が出土し貴重な資料を提供した。

 

南原遺跡出土の土器

南原遺跡出土の土器

 

南原遺跡の発掘風景(河東町)

南原遺跡の発掘風景(河東町)

 

(7)山王館(さんのうだて)遺跡(郡山市富久山町久保田)

 

昭和四十一年に発掘調査を実施し、多大の成果をあげた。今回は宅地造成に伴う発掘調査で、縄文時代中期の遺構、遺物が検出された。なかで、長径二メートルを計る楕円形の上坑から頭部の欠失した土偶(どぐう)が発見されており、土偶祭(さい)祀の一様相を示す資料として貴重である。また、数多くの土◆が検出され、その性格究明に新知見を加えた。

 

(8)大塚山横穴墓(おおつかやまよこあなぼ)群(会津若松市一箕町大字八幡)

 

四月、都市計画街路八幡鍛冶屋敷線道路改良工事中に国史跡大塚山古墳の南斜面に十基ほどの横穴基が発見された。調査の結果、二躯分の人骨と直刀玉類が検出された。会津地方の横穴基の調査は昭和四十八年に行われた会津坂下町鬼渡横穴墓についでわずかに二例にすぎない貴重なものである。

 

(9)京安林(きょうあんばやし)遺跡(大沼郡新鶴村大字沼田)

 

山林の畑地造成工事中に発見された遺跡で記録保存のために発掘調査が行われた。その結果縄文時代後期の竪穴住居跡三棟、集石遺構二基が検出され、遺物としては縄文土器(中期〜後期)、石器、炭化したミズナラの種子(ドングリ)などである。当遺跡は会津地方の縄文時代後期の集落の一例として注目に値する。

 

(10)松原遺跡(河沼郡会津坂下町大字塔寺)

 

町公民館建設に伴う調査である。その結果縄文時代の住居跡(複式炉)や土器、石器などが検出された。特に堅果類の炭化物(トチなど)が多量に発見され当時の食生活解明の資料を提供した。

以上、今年度の埋蔵文化財保護、調査の概要を述べたが、一〜三月の間に整理作業、報告書刊行を行うことになる。

開発と文化財をめぐる情勢は年毎に厳しさを増し保護行政も多くの困難に直面している。しかし、民族の遺産である文化財をより多く子孫に伝え続けるために、県民に対する文化財愛護思想のかん養と専門知識を有する埋蔵文化財行政担当者の充実、強化が望まれる。

 

 

 


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