教育福島0037号(1978年(S53)12月)-033page
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教育随想
子供を信じて
川田紀子
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私は、現在、二年生四名、三年生六名の特殊学級を受けもっている。
この学級を受けもつようになってから、もう二年がすぎようとしている。
年ごとに入れかわるメンバー。不安定な担任の立場など、さまざまなむずかしい条件の中で、ただただ、とまどいの二年間であった。
しかし、そういう私の気持ちをよそに、今年もまた、六名の新しい入級者があった。A男は、そのうちの一人なのである。
A男…彼は、入学以来二年間、学校では、ほとんど話さなかった。「家ではなんでも話すのに、なんで、学校ではだまっているんでしょう。先生、なんとかたのみます。」という母親の言葉に、私は「心配しないでください。なんでも話すことができるようにしますから、おまかせください。」と、つい気軽に受け合ってしまった。そして、ほっとした様子で帰って行かれる母親の後ろ姿を見送りながら、「責任を果たせなかったらどうしよう。」と、早くも不安に胸をしめつけられたのである。
しかし、私はA男が話してくれる日の来ることを固く信じた。そしてあわててもしかたがないので、まずA男をじっくり観察することにした。そして、私は、次のような方策を考えてみた。
○A男と心を通わすことに全力を注ぐ
○A男に、私が好かれるようにする
○A男に自信を持たせる機会をつくる(賞賛をオーバーにするなど)
○A男と行動する機会を、できるだけ多く持つ
○二人組にさせ、交互に質問し応答するような授業形態をくふうする
五月一日、いつものように朝の呼名をしていた。A男の番にきたとき「はい。」と蚊の鳴くような、しかしそれはまちがいなくA男の口から出た声であった。私はもちろん、他の子供たちもおどろいて「ああ、声をだした。」と思わず拍手をしてしまった。
六月二日、授業参観日、A男は両親に「よくやるから必ず来てね。」と言っていたそうである。母親は胸をおどらせて来校したことであろう。その参観授業でA男は、自分から手をあげて発表するなどたいへんなはりきりようであった。こんなA男の姿を見て、私は、うれしさで授業のことも忘れるほどであった。母親もうれしさで涙をうかべていた。
六月二十日、A男にテストを渡したら、突然「先生、これ、まちがっているのに百点になっているよ。」と言ってきたのである。A男の方から言いにきたのは、これが初めてである。 私は、とてもびっくりしてA男を見た。その顔は真剣そのものであった。
ああ…この日をどんなに待っていたか…私はすぐ、「いいよ。いいよ。百点でも二百点でもあげるから。」と言ってやりたい気持ちであった。しかし、それをじっとおさえて、「あら、本当だね。A男君よく気がついたこと。九五点だね。もうすこしのところだったのにね。正直に言ってきたごほうびに百点あげるから直してきなさい。」こういうのがせいいっぱいであった。
「すごい。A君、九五点だって。」というささやきを聞きながら、A男は、得意顔ですぐに直してきた。
こんなことを通して、A男は最近は何人かの友達と、なにか話すほどにまでなってきた。
A男の指導を通して私は多くのことを学んだ。その中で、特に強く心にしみたことは、「教育は、子供を強く信じきるところから出発しなければならない。」ということであった。
(岩瀬村立白江小学校教諭)
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ゆっくりと,しかし確実に
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