教育福島0037号(1978年(S53)12月)-032page

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教育随想

 

入練脱創

大槻太

 

童の前に立った年、会津のある町で購入した本である。もう二十年近くになる。

 

私には大事にしている二冊の本がある。時折ひもとく程度ではあるが、 一つは「日本史」で他の一冊は「ニイルの思想と教育」である。「日本史」は高等学校のときに使用した教科書である。二十数年前のこの本は、粗雑な紙質が更に黄色に変色し、朱線やメモや落書きが所きらわず錯そうしている。「ニイルの思想と教育」は新卒で初めて児童の前に立った年、会津のある町で購入した本である。もう二十年近くになる。

高等学校の時代、得意な教科とてない私が、なんとか日本の歴史に興味をもつようになり、そのおもしろさ、意味の深さがわかるようになったのは、先生や友人の影響も多分にあるが、この本の、私に教えてくれた内容は大きいように思っている。

私が新卒最初に勤務を命ぜられたのは笈川小である。きのうまで学生服を着ていた自分が、いかにも不つり合いな背広を着用して、「先生」と呼ばれ、だれのことかとどぎまぎしていたことが、つい先日のことのようにこっけいに思い出される。それにもまして、こんなに明確に、しかも不自然さを感じさせないままに、生活が区切られることの不思議さにちゅうちょし、どう対処したらよいのか困惑してしまったことを覚えている。すべて自分の心の準備がなかったことを恥じているが、社会の私を見る目が、 一人の教師として扱ってくれることの重圧に対し、なんとか堪えるためにがんばらねばと思ったのは事実である。こんなとき、入手したのが「ニイルの思想と教育」であった。この本を読んで、内容の読みとりも未消化のまま、目の前の児童にただがむしゃらにぶつかった毎日であった。しかしこうした意味からも、二冊の本は私にとって思い出のある、大事な本なのである。

ところで、この初任地で私は「入練脱創」のことばを知ることができた。

教育にその型があるとすれば、それは千差万別であろうし、またそうであるべきものなのかもしれない。そしてその型は、子供の前に立つ以前から、また、子供との毎日をよりよく過ごすために、せいいっぱい努力しながら累積されてきたものが、 一つの根底となって形成されていることは明白である。しかし、地域的なものや、人間社会の構成から考えれば、それは総合的な一つの型であり、自分自身の型でない。

教育という大きな機能としての一般的な型に入りこみ、長い時間をかけてじっくり考え、理解し、更に分析しながら練り上げ、やがてそれから脱皮し、はじめて自分自身の考えに根ざした教育を創りあげることができる。しかしこれはむずかしい教育理論を創り上げるということではなく、自分にごまかしのない、納得のいく教育をすることができるということである。だが「入練脱創」という一つ一つの語は、歴史において時代区分が一線上ではっきり分けることができないのと同様に、教育という大きなわくの中で、常に、互いに共存し、交錯し合いながら、はじめて自分自身の教育観を生み出すことができるようになるのではなかろうか。

こうした意味からこの考えは生がいの自分自身に対する教育でもあり、短時間の中でも、また教育以外の人間社会をとりまく多くの事象や職業についても適用できるものであろう。

とにかく二冊の本は私に数多くの示唆を与えてくれた。それを基にして教育に入りこみ、練ることを体得してきた。脱創はかなわないまでも、能動への変容のために道しるべをしてくれた「入練脱創」の考えと二冊の本は、これからも大事にしていきたいと思っている。

(保原町立上保原小学校教諭)

 

子供とともに練る

子供とともに練る

 

 

 


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