教育福島0038号(1979年(S54)01月)-020page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ずいそう

英語教師になって思うこと

西美喜子

 

だと思い悩んできたが、最近はむしろ生徒といることで心がなごむことが多い。

 

ある日の授業中のこと、文法の質問に生徒のまちがった答えが返ってきたので、つい「どうしてそうなるの。」と聞いていくと「うん、男の直感かな。」ときた。生徒と接している時間はどこか救われるものがある。無口で社交性に乏しい私は、かねがね教師には不向きだと思い悩んできたが、最近はむしろ生徒といることで心がなごむことが多い。

むろん、いつもそうとは限らない。この三年間生徒とのラポートがうまくいかず苦しんだことも度々だし、授業については、それこそ他の先生の模倣から始まり、試行錯誤の繰り返し。授業の準備やTP作りに明けくれる毎日の中で、やっと自分なりの授業の形みたいなものはできたのだが、やはり「こんなことでいいのか。」という不安が常につきまとっている。

先のとぼけた返答をしたTは能力は低くないのだが、英語ができない。一年のときのつまずきが三年の現在まで尾を引いている。私なりに楽しい授業、充実した授業づくりを目指しているつもりでも、現実には、私の未熟な指導技術のため、魅力ある授業を展開することができないでいる。そのうえ、教科の特質もあってか学力差が開き、いわゆる落ちこぼれを生む結果になったり、言語活動に重点をおいている授業も三年になると受験英語に傾斜しがちで、あじけない授業をしていることに気づくのである。

授業につまずいている生徒の中から、時として半ば反発からか、「英語なんてなんで勉強する必要があんのか。」という声が出てくることがある。

この深い山村の一角で、生がい外人と接することもなく過ごすであろう生徒を前にし、私はこの素朴な、現実的な質問に明確に解答を与えることができない。そういうとき、私は自分のやっている事の足元をくつがえされるような不確かさを感じないではいられない。

まだ大学に在学中のころ、ある教授の「自分の教える教科の学習する目的、意義を言えないのは教師として失格だよ。」という言葉に強い印象を受けたことが脳裏に焼きついている。

教職について三年、今も明確な答えを得ることのできない私は、教師として失格かも知れない。指導要領に述べられている目的や意義--新入生に対しては、ますます国際化のすすむ社会、それに伴う共通語の必要性、その他--を述べるのだが、少ない時数の中で、ともすれば形式的な語の操作に陥り、記憶力の訓練に終わってしまう授業、私の力の及ばないせいにもよるのだが、語学教師の多くが抱く悩みでもあると思われる。

豊かな心情や創造力、思考力を培う他教科に比し、単なる伝達の手段にすぎない語学は、それを通じてなにものかを獲得する段階に達するまでには相当の忍耐力と努力を必要とし、生徒が息切れするのも当然のことかもしれない。へたをすると徒労に終わりかねない語学の授業に一まつのむなしさが消えない。

しかしこういう疑問とはうらはらに、外国語という新しい教科に興味を抱いて学習する多くの生徒があり、身近な事を表現できたときの生き生きとした表情、修学旅行で初めて外人と話して、通じたといって泣いて喜び抱きついてきた生徒。部活動とのかけもちで苦労しながら練習した英語弁論、思いがけず地区で入賞できたときの生徒のあの顔。

根本的な問題を頭の一角に置きながら、一時間一時間の授業をたいせつにしていきたい。そして未熟な私の姿勢からいっしょに生徒もそれぞれ自分の人生を真剣にみつめ、手探りしながら歩んでほしいと願っているこのごろである。

(只見町立朝日中学校教諭)

 

修学旅行で外人と話す生徒

 

 

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。