教育福島0038号(1979年(S54)01月)-021page

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ずいそう

一年生の記

坂本勝

 

言葉で入学以来、さまざまな事を聞くにつけ、成長したものだとつくづく思う。

 

長女まゆみが小学一年に入学した。親馬鹿--とはよくいった言葉で入学以来、さまざまな事を聞くにつけ、成長したものだとつくづく思う。

テレビで安田常雄という人の名が放映されていた。長女のまゆみが、それをじっと聞いていたが「ツネオ、ツネオって言うから、あたしツネ子先生を思い出しちゃった。」と言った。長女はこの四月から小学校の一年生に入学し、ツネ子先生というのは受け持ちの先生のことである。ツネオのツネから受け持ちの先生の名が連想されたのであろう。当然のことながら、長女は受け持ちの先生をよほど気に入っているようである。私はこの言葉を聞いて入学第一段階は「まあ成功だな。」という喜びもさることながら、ここまで信用させてくれた先生の手腕に心から敬服したものである。

私が帰宅するなり、長女が学校の報告である。それは主に給食や新しくできた友達についてであるが、受け持ちの先生の自慢となると、父であり同じ職を持つ私など頭から問題にされないしまつである。「あたしの先生なんかなんでも上手にかけるよ。」から始まって「お父ちゃんはかける?」と私の降参を要求するのである。私はこのときとばかり、長女の先生をほめてやり、心から降参するのである。長女もまたそれで大得意である。…受け持ちの先生を神様のように考えている長女…親としてこんなうれしいことはない。

雅人は四歳で長女まゆみの弟である。姉の登校姿がよほどうらやましかったらしい。だから雅人も一年生の気どりよろしく、胸には白い名札をつけ、頭には紅白の体操帽子をかぶってどろんこ遊びの毎日を過ごしている。姉が帰宅して昼寝でもしようものなら、こっそりとランドセルを持ち出し、肩に背負っては隣近所を遊びまわるしまつである。私が帰ると「ぼく、きょう給食のパンを残してしまった。」などといかにも給食を受けているような話しぶりをする。雅人自身、一年生になったと錯覚をしているのかも知れない。

長女が、小さい、それはほんとに小さいフナを二匹ばかりすくってきた。それを私に見せながら得意気であったが、このフナを池に放してもいいかということになった。庭の池には、これも小さなフナと金魚が四、五匹泳いでいるのである。私は「放してやればフナも喜ぶだろう。」と言ってやったが、当の長女は、この二匹を池に放してやったら、前からいたフナや金魚と仲良しになれるかどうかを心配しているらしく、そのことを私に聞きたかったし、安心する答えも得たいと願っていたようである。そこで私は「だいじょうぶ、まゆみが一年生になって知らないお友達と仲良しになれたと同じように、フナも仲良しになれる。」と話してやったら、カンの水ごと池にあけていた。魚たちはたちまち一列になって泳ぎはじめたのはもちろんである。まゆみはその列をいつまでもしゃがんで見ていたようであった。

「仲良し」こんなことも学校で学んできたのであろうかと思うと、私の心のなかは春の雲のように温かだった。

その長女も今は看護婦になり、わんぱくの長男は高校でハードルとびに余念がない。

(広野町立広野小学校教諭)

 

童話の会

 

 

 

 

 


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