教育福島0040号(1979年(S54)04月)-040page

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福島の文化財

 

県指定重要文化財(絵画)

絹本著色亜欧堂田善画像 一幅

表装、横面上側に「文政五壬午年 亜欧堂 曙山田一字如洋謹写」とある。筆者の曙山田一は、田騏と共に田善門下の両翼である。田善の死亡は文政五年(一八二二)五月七日であるから、この画像は、そのときに描かれたものであろう。

田善は寛延元年(一七四八)永田惣四郎の二男として須賀川に生まれた。

寛政八年(一七九六)四十歳のとき、領主の松平定信(楽翁)に召出され、白河に移った。楽翁は彼を谷文晁に紹介し絵を学ばしめたという。

寛政十一年長崎に行き、四年間洋画と鋼板画を研究し、享和二年(一八〇二)江戸に帰り、楽翁にその成果を報告した。楽翁は彼の献呈した万国地図を見て「亜欧二州一目瞭然」と賞し、亜欧堂の名を与えたと伝えられている。

田善は月遷の影響を受けた日本国の画人として東奥の地に気を吐き、又洋画、油絵、鋼板画において、我国の文化に寄与するところ大であった。

 

所在地 須賀川市六丁目二六

 

所在地 須賀川市六丁目二六

所有者 石井篤次郎

 

白河山小峰寺は弘安三年(一二八〇)一逓上人の開基と伝えられる時宗寺院で、白川結城氏の菩提寺であった。

本堂内にある厨子は、間口八五・五総高一九六・〇センチメートルの小ぶりな宮殿である。手法からみると、長押を使用するほかは純然たる禅宗様建築で、一間、一重、寄棟造、板葺で組框の上に立ち、主要部は黒・朱漆・塗金で着彩されている。両開きの唐戸内側に不動尊・多聞天の漆絵と種子が描かれており、長押と虹梁間の欄間には透し彫りの技法を用いた秀れた鎌倉彫がある。小屋組材の墨書や銘札などから、この厨子は永禄二年(一五五九)大工願阿弥陀仏の製作であることがわかる。小型ではあるが、室町後期の特色を具備した宮殿であり、扉の仏画、欄間三面の鎌倉彫は製作の明らかなものとしては、まれにみるもので、工芸品としても貴重な遺品である。

 

県指定重要文化財(建造物)

 

県指定重要文化財(建造物)

小峰寺厨子 一棟

所在地 白河市字道場町四〇番地

所有者 小峰寺

 

 

 


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