教育福島0044号(1979年(S54)09月)-005page

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巻頭言

 

切手を破いた大臣

 

切手を破いた大臣

 

桜の聖母短期大学学長 今泉ヒナ子

 

桜の聖母短期大学学長 今泉ヒナ子

 

間接に聞いた話で恐縮だが、東京のある大学の学長が、最近、某国の労働大臣を訪れた。大臣室で執務中らしい大臣をよく見ると、まだ使ってない郵便切手をびりびりと破いているところであった。不審に思った学長が、なぜそんな無駄なことをするのかと尋ねたところ、大臣は、「私は、公用に使うべき車で、ついでに私用の回り道をしたのです。国のお金を個人の用途に使ってしまったことになるので、自分のお金から国に返済するために、相当する金額の郵便切手を買って、こうして破いて棄てているのです。」と答えたという。

この話を聞いて、私は「さすが!」と、うなってしまった。

この大臣の爪のアカでも、どこかの国の大臣がたにせんじて飲ませたいなどと、おこがましく口をきく気はない。それよりも、こういう潔癖さの基底となる世界観を、政治家たちが持っているというその国の文化を、つくづくうらやましく思わずにいられない。

人が見ていなければ、エライ人でも平気で悪いことをする国、日本。人に迷惑さえかけなければ、自分の利益をどこまでも追求することに疑問を持たない国、日本。われらの祖国を、こういう国にしてしまったものは何か。1答えは、各自の専門領域やイデオロギーによってさまざまになるかもしれない。しかし、誰もが共通して認めることは、とにかく、明治以来のわが国の教育が、結局自分の損得につながるもので価値を決める考え方に導いてしまったという事実であろう。

とするならば、誰も見ていなくても、われわれを見ておいでになる至高のお方の前で、襟を正すことを知る生き方を、教育によって広め、日本を徐々に変えていくこともまた、できるのではないだろうか。

右の労働大臣の切手の話を、数名の友人(いずれも日本人)とともに聞いたのであるが、その時、一人が言った。

「でも、びりびり破いたなんて、もったいないですね。困っている人にあげて使ってもらった方がいいでしょうに。」

そう言ったとたんに、実は本人もアッと首をすくめ、同席のわれわれも等しく気づいて笑い出してしまったのであるが、ここにもまた、日本人の現実主義があった。すべてを利用し尽くし勤勉で無駄のない生活をしてきたおかげで、われわれは高度成長を遂げた。しかし、この世の物差しではかった場合の「むだ」が、実は人生に必要なのである。

それは、使える切手を数百円分びりびり破ることかもしれないし、誰にも知られない奉仕をすることかもしれない。昔の人たちは、その聖なる「むだ」の必要を知っていたからこそ、一番よいものを「お供物」として奉納してきたのではなかったか……。

 

 

 


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