教育福島0045号(1979年(S54)10月)-007page

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(7) 模倣行動

周囲の人や、事物や事象の模倣。

障害児の言語・コミュニケーションについては、少なくとも前述の項目についての対象児の状況は握は、最低限度必要であろう。このようなことを可能な限り、発達的にとらえていくことは、指導実践との連続の上で非常にたいせつである。

 

(三) 生活経験について

教育指導の素地は、経験領域の拡大である。そのような意味から、各学校では実情に合わせて、もっと意欲的に取り組む必要があるのではなかろうか。

障害児は、健常児にくらべて、生活経験の領域が狭い。したがって、教室内だけでの指導で学習効果をあげようとすることは、なかなか難しい。例えば、ぜんそくや心疾患、側わん症の子供たちが学んでいる病弱養護学校では病棟・ベッド・教室と生活空間が三つにわかれているが、病弱のために生活経験領域の拡大不足が学習面での問題となる。その他の養護学校においてもこれと同じ問題をかかえている。

健常児と同じ欲求をもちながらも、それをかなえてもらうことが少ない障害児の場合は、特に、もっともっと生活領域を広めてやりながら、劣等感や自信喪失を少なくしていく努力を続ける必要があるだろう。

また、児童生徒の中には、学校での授業と日常生活を区別していない子供もいるようである。例えば、そのような子供に、読解指導中心の国語科の授業を行ったとすれば、フィクションの世界を理解するということは、一体どうなるのであろう。それにみあった体験を再構成して、対比させるという仕事が中心となりがちになるのではなかろうか。

それを少なくするため、生活に変化をつけ、受動的生活から能動的生活にはいっていける配慮が必要となる。「やってみたい。」、「なににでも手を出してみたい。」のが子供である。そのような子供に、いろいろな生活経験を通して、また、体を動かすことや頭を動かすことによって、学ぶ姿勢や調べたり、覚えたり、表現したりする手段を体得させるよう心がけねばならないだろう。さらに、知っていることから始め、具体的なことから抽象的なことの理解へと進み、日常の教育実践を積み重ねていくことがたいせつなのはいうまでもない。

さらにつけ加えるならば、感性的な体験から、理性的な体験へと、学習を進め、子供みずから「考える土台」をつくってやることが最もたいせつであろう。

 

(四) いろいろな行動への対処の仕方について

指しゃぶりをする子、絵本を手にしてページめくりをあきずにくり返す子あるいは、一日中、身体を前後にゆすっている子、寝ころんで手足をバタバタ動かしている子がいる。このような行動が、どんな状況においておこりやすいのか、また、このような行動は、外界にみずから働きかけて集中して活発に活動している行動とは、どのように違うのかなど、じゅうぶん見きわめておく必要があろう。

なお、行動の発現や展開には、身体の外部的環境条件だけに規定されているわけではなく、身体内部の条件特性と行動生起の関係を比較しながら、行動体制の発生系統の側面から検討を加えてみるような試みは、障害児教育には、最もたいせつなものの一つである。

 

(五) 感覚の活用について

幼児期における基礎的な知覚機能の形成にかかわる大きな要因の一つは、感覚であろう。たとえ、障害は重くても、どの子供にも残された感覚はある。故に、残存感覚の利用は、たいせつなことである。

例えば、視覚障害の場合、視覚による理解と触覚による理解とは全く違う。触覚の利用といっても、世の中には、色や影のようにさわってもわからないものもあれば、月や星のようにさわることができないものもある。

感覚の活用といっても、このように限度がある。しかし、知覚の発達をはかる上からの感覚の活用には、もっと力を入れていく必要があるだろう。

どこの学校でも行っている感覚訓練について考えてみると、二つの側面をもっているようである。一つは、人間としての全体的発達に関与するという意味での感覚訓練、もう一つは、それぞれの障害に対応した感覚訓練である。

だから感覚訓練は、この二つの側面から、その内容や方法が追求されなければならないだろう。内容としては一般発達の基盤となる運動、知覚、記憶、認知、注意、弁別、模倣などの領域が考えられる。これは、いうまでもなく、健常児と共通の、どの子供にも必要なものである。これらの内容を達成するための方法として、教育的環境を設定するだけでじゅうぶんなものと、特別な訓練プログラム(それぞれの障害に応じて)を必要とするものがある。

基本的には、対象児個々の各領域の発達状況に即して、選択されるのは、いうまでもない。

 

(六) 感情の表現について

障害児が、自分やまわりの人に対する感情をみても、その表現の仕方は一人一人違っている。

私たちは、子供のちょっとした表現や表情をよくくんで、それらをたいせつにしていく教育をしていかなければならない。

いろいろな感情、喜ぶこと、怒ること、泣くこと等その表現の分化をうながすためには、ただ単にコミュニケーションの指導ということだけではなく感覚、知覚、運動の発達を考えにいれ

 

 

 


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