教育福島0047号(1979年(S54)12月)-007page

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高校教育について

 

司会

教育長のあいさつにもあったとおり高校教育では進学率や収容率の均衡是正の問題、学校配置の適正化、多様化した生徒に対する学習指導や生徒指導など高校教育全体を考えて、どのような分野からでも話していただきたい。

 

豊かな人間性を

 

堀口

堀口

高校に関する統計的なものはさておきエピソードを話したい。一つは大学を卒業後、高校へ就職し、二年後に研究室にもどってきた学生の話を紹介する。内定した学校にあいさつに行き、教頭に「君は背が低いので生徒になめられたらおしまいだから、教師の指示や、ルール違反をした生徒がいたら思いきりなぐれ」といわれた。事実四月に赴任し授業中、与太った生徒がいたので有無をいわさずなぐった。その生徒が番長だったので、以後その学級の生徒は授業をまじめに受けるようになった。

もう一つの話は、県内の比較的歴史の長い高校で、一年生の中で分数の加減はできるが、乗除のできない生徒が入ってきていると聞いている。また、生徒指導にかける時間が大部分で、教科の指導にかける時間のウェートが低くなっている。

進学率が高くなり、募集定員より志願者が下まわっている地域もあり、事実上の全入に近くなっている。進学率の上昇そのことは祝福すべきであるがそのかげには、このエピソードのような問題がある。このような問題をきちんとしていかなければ、数字上の向上だけで喜んではいられない。

 

桜井

桜井

進学率の向上も必要であり、全入も大賛成であるが大学生をみると高校の規模によって、入学当初ちがいがみられる。小規模校から来る生徒には人間がねられていない等問題がある。質の向上には前提として量がなければならない。地域のちがうところがら集まった人間で切瑳琢磨させることが必要である。したがって、あまり小規模にならないよう学校規模の適正化を図る必要がある。もう一つは、高校の目的が一本化している。つまり大学に進学する目的が高くなっている。学校教育の中で、一つの集団にだけ参加して三年間過している。もっと複数の集団に参加し、集団の規模を取捨選択し、自分の人間性を作っていくというような経験を得させるような教育をしてほしい。

 

大内

大内

高校教育の充実は、精神的な面の充実も必要だが、施設面から述べてみたい。現在、福島県は新設高校を作る時代は過ぎた。高校進学予定者が、ここ数年横ばいの状態のようであるから、来年度開校予定の県北方部の高校を除いては、新設の必要がない。それぞれの費用を現在ある高校の体育館やプール等の内容充実にあてるべきである。高校全入、進学率の向上が強く叫ばれているが、それだけにかたまると教育のひずみがでてくる。適正な定数を決めてそれをふまえて施設の充実を図るべきである。

次に県内の私学についてであるが、私 高校は、県立高校に比べ少ないが私立の経営は容易ではない。私立を希望している生徒も、県立で再募集をすればそちらにいく傾向にある。私学の振興が叫ばれているのであるから、私学の実績にこたえるべきである。県立の場合は、思いきった定数の削減を適正に実施し、場合によっては、統廃合をすべきである。

 

鴫原

鴫原

五十四年度の進学率九十一・五パーセントは結構だが、進学率にこだわっていると現場の先生が苦労するのではないか。特殊学級に入ってもよいような生徒も入学している。現場の教師は、どのように指導したらよいか悩んでいる。

進学率の向上にともなった対策をとるべきであるが、現在はとられていない。その辺から中途退学者がふえているのではないか。これが今後の課題である。

例えば、西白河地方でも家が農家でありながら、普通高校にまん然と進学しているのが現状で、目的のない進学だから勉強に熱が入らない。また知能指数の低い、ついていけない生徒をどうするか、今後の問題である。

職業訓練校などを充実して生徒の実態に応じて入学させ、生徒に誇りをもたせるようにすべきである。現在では

 

 

 


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