教育福島0050号(1980年(S55)04月)-044page

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ぼくの学校わたしの学校

 

福島県立小野高等学校平田分校

 

新しい校舎

 

新しい校舎

 

古い校舎

 

古い校舎

 

三年

遠藤フミ子

 

福島県立小野高等学校平田分校-それが我が校の正式名称です。戦後、定時制の農業高校として開校されて以来、平田村の若人たちが働きながら学んだ学校です。はやい卒業生は私たちの両親とほぼ同年代です。平田分校が農業科、家政科が廃止され全日制普通科に変わったのは、昭和四十九年のことです。現在、各学年一学級で生徒総数百三十九名の極めて小規模な高校です。私たちは入学当時、永田地区にあった古い平屋建ての木造校舎で学びました。校舎はひどく老朽化しており、歩くたびに床がぬけるような音、冬は冷い隙間風、雪が吹きこんだりもしました。体育館がなかったため、多少の雨の日も校庭(永田小学校)で授業をしたものです。農業科時代の名残りか、地域性を考慮してか、家庭科、農業科の授業が比較的多かったことを記憶しています。でも、畑での野菜作りも楽しいものでした。実習の大半は草むしりでしたが、結局は井戸端会議になってしまい、先生に叱られたこともありました。当番制による早朝水かけや手入れをして育てた野菜が無格好ながら豊かに実った時の感動は、他の普通科高校では味わえないものでしょう。泥つきサツマを手にした友の満足そうな笑顔は、濃い山の緑とまぶしい太陽とともに今もまぶたにやきついています。昨年一月二十六日、私たちは切山地内の鉄骨二階建ての新校舎に引越し、色鮮かに、近代的な設備をもつ学校に喜びを感じながらも、昨日までの学校と比べ戸惑いを覚えました。二月、創立三十周年と新校舎落成を祝う式典が行われました。今年は体育館が建設されるとのことですが一日も早い完成を望んでいます。私たちは今、学習のために大変恵まれた環境を与えられています。でも旧校舎での外で学んだ学習も決して忘れないでしょう。ある先生はよくこういうのです。「生きた勉強をしなさい。勉強は一生続くのだから」と。

私たちの学校は人間に例えると、まだ歩き始めたばかりの赤ん坊で、私たち生徒はその赤ん坊の細胞でありこれから必要な器官が形成されつつあるのです。この分校で学ぶ私たちは磨くほどに美しく光る石の原石でありたいと願っています。例え名もない石であっても。

 

 

 

 

 


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