教育福島0051号(1980年(S55)06月)-005page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

巻頭言

 

障害児らとともに

 

障害児らとともに

今井徳年

 

はっきりとは記憶していないが、今から三十何年か前のことである。

私の在学していた大学の学園祭の時、神田の共立講堂で、宮城道雄氏の琴の演奏を聞いたことがある。「水の変態」から始まり、何曲目かの演奏が始まった直後のことである。突然、会場のライトが消えてしまった。満場騒然とした中、琴は弾き続けられていたが、騒ぎはいっこうにおさまらない。宮城氏はやむなく弾きやめられて、「めあきのみなさんがたは、さぞお困りでしょうね。」と一言いわれた。その一言で、会場は水をうったように静まりかえった。この一言が、一人一人の胸の中へどうつきささったかは知らないが、返す言葉のないある感動を受けたことだけは事実であった。

心身に障害を持つ者が、人並みに達することだけでも容易なことではないのに、ましてや、一芸に通ずる城にまで到るのは至難の業である。

現在、私は盲学校と同居している聾学校に勤めているだけに、あの時の言葉が、今なお胸につきささっていて離れないでいる。今の私の学校では正式には三歳児学級以上の者が学んでいるが、教育相談二歳児も勉強している。「三つ子の魂百まで」といわれているが、この幼児教育ほど大切なものはないと考え、特に幼稚部の指導には力を入れている。

三歳児は母親から独立して排泄・食事・着衣など基本的生活習慣の自立が着実に完成の方向に進む時期であるとともに、社会人となるための「心のもち方」、「考え方」の基礎工事が行われる大事な時期である。大脳生理学で、いわゆる脳の細胞はこの幼児期に大部分が作られるといわれるこの時期の教育こそ大事であり、いささかも疎かにはできない。特にさまざまな障害を背負っている者は、その障害を克服しなければならない宿命を持っている。

健常児と同じスタートラインにつくまでには、すでに想像を絶する幾多の試練をのり越えねばならない。

幼少にして盲人となった宮城氏も、この試練を経ずして名人の城に達したわけではない。

盲児には点字を通し、残された感覚を通して教えねばならないし、聾児には補聴器の利用などで、残存聴力を最大限に生かして、日本語の一つ一つを聞かせたり、話させたりして、ことばの概念を一つ一つ積み重ねていかなければならない。そのためには繰り返し練習させてたたき込むほかはない。同じことを何度も何度も教え諭し、努力したら、ほめ、できたら、ほめ、時には厳しく叱責するという繰り返し以外にはない。つまり、単純直截な教育である。そのためには、習うものの身になって考え、頭を使って教えねばならない。あくまでも子供らの可能性をひたすら信じて教えねばならないところに教師の使命感があると思う。

(いまいとくとし 県演劇協議会長)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。