教育福島0052号(1980年(S55)07月)-021page

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随想

 

きょういく

 

井出 宣

 

井出 宣

 

世は今まさに「こころの時代」「地方の時代」となりました。したがって教育の概念も学校中心の考えかたから大きく変化し家庭、社会、学校を同時に考える「地域ぐるみの教育態勢」として考えられるようになりました。

目を世界、国内に向けると緊迫した多事多難の八十年代の中でも教育の大道は変わりません。本年より小学校は新学習要領により新教科書で、中学校は来年を期しての移行措置が「人間性豊かなゆとりある充実した学校生活、個性能力に応ずる教育」を柱として全面的に実施されつつあります。

松平知事さんも、豊かな生活へと文化、教育、青少年育成を重視し、快適で住みよい郷土にと申しております。かつて、「ウサギ小屋に住む働き蜂の日本人」と批判されましたが、戦後の荒廃から立ちあがり、GNP世界第二といわれる国力を築き上げた日本人の優秀な頭脳と勤労意欲を思うにつけ、現代の子供たちは働く場所を与えられず、働く方法を教えられず忍耐力、根性が弱いといわれる折り、勤労体験学習がとりあげられることは価値の大なるものと信じます。

私の住む双葉地方は、十年ほど前まで福島県のチベットといわれる立地条件から、現在は日本でも有数の発電地帯として原子力発電所や火力発電所が建設されつつあり、電源三法交付金により著しい変容を遂げ、住民の生活水準は向上、均衡化し、その生活様式は都市化の傾向をたどり、ふたば広域圏として陽の当たる場として将来が期待されています。教育環境も大きく変わってきました。生活環境の整備はもとより、次の世代のためにも大きな遺産として教育の振興に飛躍発展を期す覚悟で教育行政に各町村の特殊性を配慮し、地域の一層の連帯感を深め責任を認識し、結集努力しております。「居は心を移す」といわれるとおりであります。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」といわれるごとく豊かな生活も、その基盤は健康で、はつらつとした毎日を送るため対策の強化を図りつつあります。適度の休養、適度の運動、栄養バランスのとれた食生活の三か条が身につくように…。健康、体力づくりの大切なものは一人一人が自ら求め、つくるものとして施策のもと個人、家庭のしあわせを進めております。私たちは教育行政者として地域住民の理解協力により、「ゆとりある充実した学校」をめざし、生涯教育の基礎となる実践や体験を重視し、知、徳、体の調和のとれた人間形成に努めなければならないと考えております。私も校長経験者の一人として、一層の関心を持っております。教育とは共育であるという学者もいます。音を同じくする語句をあげてみますと、

・共育…子供と共に育つことである。子供をよく育てる教師は自ら育とうと努力している教師である。

・今日育‥一日指導したら一日の成長が期待される教育。

・強育…スパルタ式教育である。心理を無視し個性人格を考えぬ強制教育で人間尊重の教育でない。

・響育…時流に便乗し自己の存在を示して名声を得んとする宣伝教育。

・競育…一六勝負のような教育で己を育てる喜びをしらない教育。

・叫育…大声を立てわめき叫んで育てようとする教育で家庭に見られる。

・狂育…教育の本道から逸脱した教育。自分勝手に路線上を進むもの。

・恐育…権威、叱責、体罰等で解決しようとする教育でおびえ、おののき、心の扉が固くとざされる。

・狭育…狭く幅のない、豊かさと大らかさのない教育。

・教育…教え育てることで、教とは学習指導のことであり、育とは生活指導である。教えることができても育てることのできない教師もいる。

教育にはよい師を得ることであり、人材確保を強く望むのも当然であります。教壇は教師の生命で絶えず教育の原点に立って真実の教育を求めるのも一理あると思います。近代社会の人間像は自己の運命を開拓できる人で、心の温かい、理解力と生活力のある人だと思います。太陽のごとく明るい温かな、磁石のような引力があり目に見えないカスミ網をかけ手綱をしっかり持って進むことが理想の教師の姿ではないでしょうか。

(楢葉町教育委員会委員長)

 

 

 


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