教育福島0054号(1980年(S55)09月)-024page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

ふれあい

小平佳子

 

楽しく面白そうであったあの泣き虫だった子の変化を心楽しく思い返してみた。

 

「あっ!今日は早番だ…」急いで出勤の準備をしながら、Kの顔が私の脳裏をかすめた。Kは毎朝早く登園する何人かの子供たちの中に必ずいた。私の顔を見ると、はにかみながらそれでも小声で「オハヨウ」と挨拶をするようになってきた。ブロック遊びが好きで他の子にブロックを取られないようにと思う気持ちが、毎朝早くから登園してくる理由なのかもしれない。いくつもいくつもブロックをつないでは自動車を作りそれを使っての遊び…それはKの心を無限に想像の世界へといざなってくれるのであろう。みるからに生き生きとして楽しく面白そうであったあの泣き虫だった子の変化を心楽しく思い返してみた。

昨年、年少組に入園した時のKはものすごい恥ずかしがりやで、そのうえ依頼心が強く少しのことにもおびえて泣くし、友だち遊びを好まずあげくのはてに弁当のご飯はおっぱいを吸うようにしてのみこんでいた。こんな子供の姿に出会った私は少なからず戸惑いを感じ、幼児を手がけることの重要な意味を感じた。

Kのほかにも友だち遊びを好まず、ひっそりと保育室に閉じ込もっている子が数人いた。私は「よし、この子たちが一日も早く元気よく友達と遊び、少しのことで泣きだしたりしないような強い子になってくれるように頑張ろう」と改めて決心し、次のことを試みた。(1)Kたちを活発な子供たちに誘わせ遊びの中に入れてもらうようにすること(2)自分のことは自分ですること(3)困ったことがあっても泣かずに話すことの三点である。(1)については少しの間はどうにか遊べるのだが、すぐ仲間から離れてしまうので一緒に遊んだり何度も繰り返して誘わせるようにした。(2)については最初なかなか出来ず友達が見かねて手伝ってくれることもたびたびであった。そんな時かわいそうだとは思ったが手伝ってくれる友達に「今Kちゃんは一人で頑張ってるの、きっと一人で出来るようになるから見ていようね」と声援を送るようにさせた。そんなある日、制服のボタンかけが出来ず何度も何度も失敗し、ようやく成功したKを、側で励ましていたTがガバッとKに抱きつき「よかったなあ」と自分のことのように喜んでいる場面に合い、ああこれでKも自信を持つだろうと心から、うれしく思った。はたしてそのとおりになりつつあることに私は喜びを感じる。(3)については何人かの子供たちが該当した。なかでもKやY子、H子はすごい。ほんのささいな出来ごとと思うようなことでも涙をポロポロ…、あとは無言である。「赤ちゃんはね、お話ができないから泣くのよ。Kちゃんは赤ちゃん?」と聞くと「ううん」と首を横に振り赤ちゃんであることを否定する。「じゃ今度は泣かないで頑張られる?」と言うとまだ涙の一杯たまった目を大きく見開きこっくりとうなづく。しかしまたその後、同じような場面で同じような涙…こんなことを幾度も繰り返して一年が過ぎた。

今年の四月から年長組になった彼らは年少組の面倒を見ようとはりきり、自分のことはほとんど独りでするようになった。年少組が泣いていると「どうして泣いているの、泣くのは赤ちゃんだよ」と慰めている子?と見ると、ついこの間まで泣き虫だったY子だったりしてなんともほほえましい情景である。園庭東側を仰ぎ見ると、はるかに磐梯山とその周辺の山々の雄大な姿が目に入る。子供たちがあの山のように雄々しく自然の荒さの中でも社会の荒波の中でも陶やされたものを持ち、すくすくと育ってほしいと願う。

(会津坂下町立広瀬幼稚園教諭)

 

みんなでいっしょに

みんなでいっしょに

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。