教育福島0055号(1980年(S55)10月)-005page
巻頭言
身勝手
佐久間敏
私は、いまタバコを全く手にしないが、二十年ほど前までは相当なものであった。その反動か現在の私は、まるで子供のようにタバコに敏感である。だからタバコ好きの人とクルマに乗るのは大変な苦痛である。大ていの人はクルマに落ち着くとまず一服と火をつけるものだ。すると狭いクルマの中はたちまちのうちに、煙でいっぱいになる。煙が濃くなるにつれて私の頭がガンガンと痛みはじめる。そして暫くすると吐気をもよおしてくるので、相手に悪いと思いながらも、ひんぱんに窓をあけるようになる。
会議の席でも同じようなことが起きる。大方の会議場というものは、開会前から4ハコの渦になっているものだ。“いやだなア”と思っているためか、よけい頭にこたえてくる。ついトイレにでも立つようなふうりをして、外気補給に室を出ることになる。
また、一歩自宅を出るとバスの中でも、列車の中でも、ゴルフ場にいたるまで、ところ構わずこの小さな公害が待ちうけている。
人間というものはまことに身勝手なものだ。タバコをやめて、いましみじみとそれを感じている。
戦時中はタバコを自由に買えなかった。タバコ屋の前に長い行列をつくって一人一個だけ買うのであるが、結婚したばかりの新妻をその行列に立たせたり、やがて、タバコが配給制になると、配給された刻みタバコの粉を筆の軸を使って紙巻きタバコに作り変えまでさせたものである。いま自分がやろうとしてもタバコの臭いが嫌(いや)で、できはしない。
戦時中から戦争直後にかけての娯楽といえば、映画くらいであったので、映画館はいつも超満員であった。タバコを吸うために座席を離れようものなら、直ちにその座席をとられてしまうので、座席で前かがみになってタバコをふかしたものである。そして隣り座席のお嬢さんに、いやな顔をされたものであった。いま考えれば全く冷や汗ものである。
タバコをやめよう、と思い立ってから、実際にやめてしまうまでに一年ほどかかった。途中でざ折して笑われてもはずかしいと思って極秘裡に努力していたのであるが、やめて三か月もたたないのに知人たちは皆知っていたのである。私のタバコなんか誰も見ているはずがないと思うのに、それがちゃんと見ていたのである。世間というのは恐ろしいものである。
いまは日本製のタバコはもちろんのこと、外国製のタバコまで自由に買える時代であるが、私はタバコをやめたのである。妻は“今のタバコは美味(おい)しいそうだよ、昔の不味(まず)いタバコを吸って、なぜ今の美味しいタバコを吸わないのか”と皮肉をいうのである。
(さくまさとし 前福島テレビ社長)