教育福島0055号(1980年(S55)10月)-050page

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ふるさと探訪

 

県指定史跡

天神原遺跡

 

天神原遺跡は楢葉町北田の木戸川と井出川に挾まれた丘陵の先端、標高四〇メートル内外の平担地にある。地目は原野であるが、一部開墾されて畑地となっている。この地からは、昭和三十七年、弥生式土器の合口棺一基が発見されたことがきっかけとなって、昭和三十九年から四十年にかけて発掘調査が行われ、遺骨を再葬したと思われる土器棺八基と遺体を直葬、あるいは本棺に入れて葬ったと思われる長楕円形の土壌墓一基が発見され、更に昭和五十四年の発掘調査によって土器棺二十四基、土壙墓四十七基が発見され、東日本における最大の弥生時代の墳墓群であることが明らかになった。

そればかりでなく、本遺跡は次の点からも学術的価値の高いものである。

第一は、その埋葬様式がいままで県内で知られていた多くの弥生時代の墳墓の埋葬様式と異っていることである。

福島寮内で弥生時代の墳墓群としては、すでに県史跡に指定されている石川町鳥内遺跡をはじめとし、会津若松市墓料遺跡、周南御山遺跡、金山町宮崎遺跡などがあるが、これらの遺跡では、用形のピット内に多数の土器棺を埋納したものが主であって、長楕円形の土壙墓は見当たらない。ところが本遺跡では、土器棺一基を入れるだけの大きさの穴をほって、そこに埋納したもので、多数の土器を一括して一つの墓壙に埋納したものは認められず、また遺体を庫接埋葬したと思われる長惰円形の土壙墓が多く存在している。つまり、弥生時代でも古い時期と新しい時期とでは、幕制に変化のあったことを天神原の墳墓群は示している。

第二は、天神原遺跡から出土するような土器が一型式をなすものであることは、従来知られてなかったところであるが、天神原で同一特徴を持つ土器が多量に磁土したことによって、いままで知られていた「櫻井2)式」と「伊勢林前式」の間に別の土器型式の存在したことが知られた。すなわち、本遺跡は「天神原式」とも称すべき福島県の弥生式土器型式の標準遺跡である。

 

所在地 双葉郡楢葉町大字北田字天神原1番地

 

所在地 双葉郡楢葉町大字北田字天神原1番地

うち3,001.15m2

所有者 北田神社

 

▲出土品

▲出土品

 

 

 


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