教育福島0056号(1980年(S55)11月)-005page

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巻頭言

 

自然との調和

本田安次

 

荒すのではなく、そっと入って、木陰などに腰を下して休むことも自由である。

 

この夏、約一か月間、はじめてヨーロッパの国々を歴訪した。ヨーロッパ文明のすばらしさにぢかにふれて深い感動を覚えたのであるが、そのうちもっとも印象的であったのは、訪れた限りにおいて、どこへ行っても人間の生活と自然との調和がまことによくとれているということである。ヨーロッパ大陸には森林が多い。その森林を濫伐してはいない。町作りはその森の中にという感が深い。大都会も先ずは森の中に。そして広々と至る所に樹木の多い公園を設けている。芝生がある。「芝生には入らないで下さい」との立札はない。芝生を踏み荒すのではなく、そっと入って、木陰などに腰を下して休むことも自由である。

とりわけ印象が深かったのは、西ドイツのライン川の流域であった。とくに、川にのぞむハイデルベルグの町の美しさは無類であった。ラインの流域はまだ自然のままのようであるが、この町にあっても、自然を生かし、並木をととのえ、川添いの散歩道を美しくつくっている。町は大勢の人たちがそれぞれに建物を立てているのだが、皆互いに環境を美しくしようと心を配っているように思われる。この町はラインに添って山が建っていて、その山の斜面にも多くの家ができているが、森と調和して、遠景も全く夢のように美しい。山上に古城があり、そこも訪れたが、夜はたまたま古城祭りがあるというので再びのぼり、イタリヤオペラ「ドンジュアン」の野外公演を見た。

省みて、日本には日本の、祖先たちがこれまで築いてきた概して素朴ながら独特の文化が田園にもある。やはり自然との見事な調和があった。それが近年は、遠慮もなく破壊されて行きつつあるように思えるのはどうしたことであろう。日本は土地の限られた島国であるのだが、やはり工夫によって、地域々々の環境に調和した独自の文化をつくって行くべきではないかとつくづくと思う。

西洋の文明に対して、東洋の文明にも、古来洗練に洗練を重ねてきた美しいものがある。その文化にひたりきっているためにかえって気がつかないことが多い。かつて小泉八雲、フランスのクローデル、ドイツのブルーノタウトなどが、日本の文化の一面に触れてその美しさを称揚したことがあった。

明治以後、時代はめまぐるしく変転してきた。現代にはまた現代の文化があるべきであるが、それはやはり、伝統の上に、調和的に、しっかりと築き上げられなければならないと思う。人各々が、自らの住む環境の上に。

そして人各々協力して、それぞれの個性を生かし合うことがもっとも大切と思う。優れた個性が優れたものを生む。しかし環境の整備-中でも教育のことはもっとも大切なことであると思う。教育の重要さは、いくら強調しても強調し過ぎることはない。

(はんだやすじ 県文化財保護審議会委員・県外在住知事表彰受賞者)

 

 

 


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