教育福島0059号(1981年(S56)02月)-003page

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巻頭言

豊かな風土の中で

伊勢呂 裕史

 

思うが、私にとっては、実感として、やはり驚きを覚えざるを得ないのである。

 

福島県に赴任してから既に一年近く過ぎた。昨年の四月には、寝返りも打てなかった息子が、今は雪の中でもどこでも歩き回っている。まことに時の経過するのは早いものだと思う。この一年間、仕事の関係などで県内のほとんどの地域に行く機会に恵まれたが、地形的には山が多く、県土の広いことやまた、それらに伴って気候が各方部で異なっていることなどが強く印象づけられた。これらのことは、本県人にとってはあたりまえのことで、別にとりたてて云云(うんぬん)することではないと思うが、私にとっては、実感として、やはり驚きを覚えざるを得ないのである。

私の出身地は、名古屋であり、大学時代からひき続いて東京で生活したので、濃尾平野や関東平野での生活経験はあるが、これらの生活の中では、山が見えるといっても天気のよい日に遠くに霞んで見える程度であったので、赴任早々に私の机から、窓ガラスを通して真近に見える吾妻連峯の圧迫感には、息苦しささえ感じたものである。

平野から盆地への転換は、私のように山登りなどあまりしない者にとっては、山の向こうへはなかなか行けなくて、盆地の中に閉じ込められているような感覚をを持つからであろう。

夏に会津から南会津へ車で出張した折りに、走行キロ数は五百キロメートルに達したが、五百キロメートルといえば、福島駅から静岡駅を超える距離に当たり、同一県内の出張でこれだけの距離を記録する県はほかにはあまりないであろう。県土の広大な福島の再認識をせまられるのである。

また、テレビでの天気予報などを見ていると、会津、中通り、浜通り、の三つにわけて予報がなされるが、会津と浜通りでは関東と東北の気候の違いほどあり、実際に晴天の会津から土湯峠を越えて福島へ入ると雨だったという体験をしたり、冬は郡山を境に、西へ行くと猪苗代でスキー、東へ行けばいわきでゴルフができるという話に接し、更に、会津が裏日本性、中通りが内陸性、浜通りが表日本性と三様の気候を身近に感じるにつけ、驚くばかりである。

和辻哲郎著の「風土」によると、人間の構造は気候、地形などの風土によって規定される部分が多いという。普通「○○県人の性格は○○だ」といわれるのがそれであるが、本県の場合、これだけ気候が異なればそれぞれの地域で風俗、文化、習慣が異なってくるのもうなずけるのである。もちろん、各地域の人間の性格の形成には、その地域の歴史、マスメディアや交通手段の発達、自発的な意思などによる部分がかなりあると思うが、やはり気候の違いも大きな要素を成しているのではないのだろうか。

今、私は、深雪を冠した吾妻小富士を、その自然の美を堪能するのである。息苦しさを覚えずに…。

(いせろ ひろし 県教育庁総務課長)

 

 

 


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