教育福島0061号(1981年(S56)06月)-007page
人間が持っている六感を働かせて体験していくことで想像力を押しひろげる。実に成長に貴重な時間となるはずです。
しかし、この仕事を担当される先生がたには、百パーセントの要求がなされることでしょう。円満な適切な指導が必要です。演劇を橋わたしとして、人間の心の種々相を感得させ生きる喜びを伝達するのですから素晴しい仕事だと思います。
そして人間の生命について考えていただきたいのです。一個の授けられた生命をどう育て活用していくのかを、人間社会の中でどう受けわたしていくのかを、演劇を通して具体的に知っていただきたいのです。
物質的なゆとりが心のゆとりを失わせているのではないかと感ずる最近です。正月−東京の空には流行でもありましょうが、イージーにただ上がりさえずればいいというような凧が横行しています。上げることの苦心の欠如、苦心の末に上がった喜びの欠如を痛感します。この想像力の欠如を強制するような流れをどう考えていったらいいのでしょう。
いま私たちは「楢山節考」というオペラを上演しています。主人公のおりんが「村」の「掟」に従って死に赴く道程のなかで「生命」の尊さを深い感性のなかで描いていくドラマです。親と子が決定的に生命の燃焼について考えていきます。この劇を観た学生を含めた多くの人たちの把握は、人間への愛しさに満ちていました。
全てはそこから始まるという想像力です。演劇は手段ではありません。いつも不変の真理を目ざすものです。受け手の順応力をいつも持っているのです。どうぞ、演劇を生きた眼で活用してください。