教育福島0061号(1981年(S56)06月)-019page
に対して教師側の誠実な積極的な態度が生徒側に伝わればノートは一段と活用され、生徒の心のとびらは開かれる。そこに、生徒と担任との信頼関係も生まれ、個人相談への道も開かれてくるものだと思う。
教師が心の中をかくすことなく赤裸々に誠意をもって打ち明けるならば、大部分の生徒は時間的な差はあっても徐々に心の中を見せてくれるのではないださうか、ロべたな子でも恥ずかしがりやな子でもノートなら書いてくれるという強みがある。
エ マルチと併用しての相談
学習上の悩み、性格についての悩み、能力や将来についての悩み、異性や友人についての悩み、そう他いろんな悩みを積極的にノートに記入させる努力を試み、マルチの結果と照合しながら、その原因を追求し、解決の方向へとつみかさねている。
マルチで特に目につく項目についはチェックしておき根気よく、その原因を追求していくよう留意している。
4) 「前進ノート」設定の理由
私は生徒に「前進ノート」には、なにを書いてもよいと言っている。
思いのまま、詩、作文、悩み、学習関係、うれしいことなど、自由自在に書かせている。要するに「前進ノート」はもう一人のかくれた自分である。だからどんなことでも相談するんだ。そしてともに考え、ともに悩み、少しずつ前に進んでいくのだ。前進していくんだ。あわてることはない。とにかく後退せずにカべに当たっても、苦しさに出合っても前へ向かって進む、その姿勢を忘れるな、と。
このノートは自分のかくれたもう一人の伴侶なのである。そういうノートにしたいと考えたわけである。
5) 指導上の主な効果
(事例)B男は大変消極的で書くこと、話すことを極端に嫌い、成績はクラスで下位である。なんとかして、この「前進ノート」を使って彼のかくれている能力を引っぱり出してみたい。普通の生徒の域まで成長させてみたいと思い、まず彼の生育歴、家庭環境を彼のノートに書くよう求めた。だがなかなか書いてくれない。そこで私自身のそれを見本として興味深く彼が読めるように書いて求めた。三回目の提出で二行で終わりだった。
私はがっかりした。しかし私は自分自身の生育歴などを更にくわしく記入して彼に求めた。今度はくわしく記入してあった。彼はもちろん知能は低いが一人っ子で家では何もかもやってもらっていた。
過保護の母親は、自分では満足に何もできないと決めつけ、本人の意志、意欲をむしりとっていたのである。早速母親懇談、なんでも本人に責任をもたせて最後までやらせるようにしてみては…。たとえ失敗しても本人にとって大きな経験になりプラスになるのでは…。
次の提出日に詩を要求して、彼のあまりにもうまくない詩をほめた。
次の詩の表現は、甘いが生きていた。これはすばらしい。私は早速学級通信「さかみち」にのせ犬々的にクラスやその父兄に発表した。
それからの彼のノートは詩や多くの文字で埋まることが多くなった。と同時に、人前で少しずつではあるが、自分の考えが発表できるようになった。これは、やれば自分でもできるのだ、という自信が生まれたことに他ならないと思う。彼は少しずっ明るくなってきた。
6) 問題点
一か月、かなりの人数のノートをみるわけである。したがってかなりの労力になる。かといって教師側の態度(見方)が、いいかげんになると生徒たちの方も雑になるものである。根気よく一人一人誠実に、ていねいに返答(朱筆)し、指導しなければならない。提出日があるわけだが、つい油断して放置すると提出しない生徒がでてくるものである。
なにも書いてなくともよいから、必ず提出させなければならない。ある程度軌道にのり習慣化されれば、生徒たちの方から自主的に提出されるものである。提出の様子は軌道にのるまできちょうめんに記入をし、確認をしないとあとの方でいいかげんになる可能性が大きい。ただ、これは初歩的な段階で一人一人が自主的に提出ができ、こういう指導が不必要になるような教師と生徒との信頼関係が生まれなければならない、
いままで受けもった生徒たちを思い出すと生徒理解、生徒指導のむずかしさ、重要さをいまさらながら強く感じる。とともに、自分の無能力さを反省せずにはいられない。幸い、現在校でも、生徒指導の研究にとりくんで二年目をむかえた。仲間とともに、更に学習して、特に心の病を持った生徒の指導に全力を傾け、私の実践してきた「生徒指導の手法」の完成を目指して努力したい。