教育福島0062号(1981年(S56)07月)-005page
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巻頭言
邂逅
石川義光
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さわやかな緑したたる初夏の季節も足早に過ぎ去り、入道雲の立群がる真夏が目前にやってきた。
四月、新たな希望に燃え入学してきた児童生徒も、はや三か月を経て、学校生活に馴れ親しんできた昨今ではなかろうか。
邂逅−めぐり合い−私は年度当初、いつもこの言葉の持ち味の深さを考えさせられる。
教師間のめぐり合い、教師と児童生徒とのめぐり合い、書物とのめぐり合いなど、その一つ一つのどれをとっても貴重なものと思えてならない。人生すべてこの邂逅−めぐり合いによって営まれているのではないだろうか。
学校においても教職経験の豊かな先輩教師、若き情熱をたぎらせようとする青年教師、お互いにこの邂逅を大切にし、相手の心の中に飛び込み、胸襟を開き、忖度し合い、意思の疎通と、真剣な問いかけをもとにし、学校経営に遭進して行きたいものである。
今年もまた、例年のように五月から幾人かの教育実習生を迎えた。彼等はきっと緊張と不安の中に校門をくぐってくるに違いない。まず最初に厳しいオリエンテーションを受ける。服務内容、学習指導計画、生徒指導など実習生としての心構えが説かれる。この時彼等は身の引き締まる思いで、教育の重要性・教師としての責務の重さを感じとるであろう。こうした邂逅があって、数週間後、彼等は再び大学へ帰る。
やがて教員採用試験、合格、採用!そうして一人の青年教師が誕生する。彼等はその喜びを手紙に託し、異口同音に、「合格できたのは厳しい指導を頂いた賜物です」と、あのオリエンテーション時の邂逅、その後の指導への感謝を述べている。これこそ指導する者と指導される者との時宜を得たすばらしい邂逅の証であり、教師としての自信をもたらすものと言えよう。今後もそのような邂逅でありたい。
教頭職にあると、どうしても生徒個々人との直接的なふれあいは少なくなりがちである。私は新入生に対し、入学当初、時間を見いだして、クラスごと、学校沿革、伝統の重み、先輩諸君の努力と栄光、本校との邂逅の喜び、各自の自覚について話をすることにしている。この話の一こまが彼等の日常生活の心の支えになってくれればと思っている。
児童生徒との邂逅は毎年訪れるものではあるが、決して惰性に陥ってはならない。児童生徒にとって、教師はかけがえのない存在である。人生の伸び盛りである児童生徒の教育が、われわれ教師に委ねられているのである。この「邂逅」の重みに深く思いをいたす時、ますます教師としての責任の重大さが感得させられる。
このような認識のもとに児童生徒の教育に携わるならば、今日的な教育の諸問題のいくつかは、必ずや解決されていくものと信じている。
(いしかわ よしみつ 福島県高等学校教頭会会長・福島高等学校教頭)
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