教育福島0062号(1981年(S56)07月)-006page
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栄冠は君に輝く
元東京大学野球部投手 西山明彦
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筆者紹介
昭和二十九年生。東京大学経済学部卒業。昭和五十三年日本航空株式会社に入社。高知大学附属中学校、神奈川県立湘南高等学校を通じて野球部で投手として活躍。昭和四十九年東京大学文2)に入学後、野球部に所属し、東京六大学で文字通り神宮の杜で投手として活躍した。
氏の東京六大学リーグ戦の通算成績は、八勝二十七敗。三年次秋季は七年ぶりで五位。三年次秋季五位。四年次春季には三十年ぶりに四位、秋季は五位に東大野球部を導いた大黒柱であった。
先日、新聞の地方版の記事が目に止まった。ある高校の野球部員全員が、民謡クラブ員を兼ねており、野球と並行して民謡を発表することで、人前に出ても尻ごみしない訓練をしているという内容のものだった。ともすると周囲が過熱し、勝負が優先しがちな昨今の高校野球界の風潮を思うにつけ、「明るく健康で、さすがはスポーツ選手だと言われるような人間になってくれれば……」という野球部顧問の先生の談話に、部員たちを包み込むような温かさが感じられて、清々しい思いにとらわれた。
運動部員であれば、ましてや、一流選手ともなれば進学や就職に有利であるというような論理は存在しない。青春時代に、自分の熱中できるなにか−人によって、それは運動や、学問や、芸術など、さまざまなものであろうが一を通して自己を燃焼させる中で、師を得、友を得て、自らの心を豊かに育て、より大きな人格を形成させていくものである。この過程にこそ、意義があるのではないかと思う。
一つのチームが勝利を手中にするには、九人の選手の力にだけよるものではない。裏方として、黙々と自己に耐えている部員がいることを忘れてはいけない。その無名の野球部員たちの中には、自己との戦いに負けてしまう者があるかも知れないが、彼らが学窓を巣立ち、社会人となった時、目に見えない師の心遣いを感じるのではないだろうか。情熱を媒介とした師弟の
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