教育福島0063号(1981年(S56)08月)-005page
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巻頭言
紫陽花
大石邦子
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今年もまた、あじさいの季節がめぐってきた。雨の日は体のしびれが強まってちょっと困るが、この花が大好きなばかりに雨がさらいになれないでいる。
雨に流れて、一きわ鮮やかさを増したあじさいの花は実に美しく、美しさのあまりにいつも思うことがあった。
あじさいに、「紫陽花」という漢名をあてた人はどんな人だったのだろう。単なるイマジネーションによる漢字の組み合わせから生まれた宛字だったのだろうか、という思いだった。何かドラマがあってほしかった。
あじさいは日本の花である。青い花が集まって咲くところがら、集(あじ)真(さ)藍(あい)、つまり、あじさいと名づけられた、とある。この花は万葉集にも二百詠まれていて、その表記は、味狭藍であり、安治佐為となっている。学名は、嘘か誠か命名者であるシーボルトの愛した日本女性・楠本滝こと、お滝さん、の名からとって「オタクサ」とのこと。
家にある植物・万葉・語源関係の本は全て探してみたが、「紫陽花」に到る説明を見つけだすことはできなかった。半ば諦めながらも、雨の中で藍をたたえる花への幻想はふくらむばかり。そこで私は、昨年の夏思いきって、図書館という所へつれていって貰ってみた。そして、膨大な本の量に圧倒され、初めての体験に立嫌みながらも−江戸時代後期の植物学者である小野蘭山が、白楽天の詩「紫陽花」を「あぢさゐ」にあてたが、紫陽花は如何なるものか不明(万葉集事典)−とある一文に出会ったのである。その詩も何とかして読みたかったが、それは分からなかった。でも私は満足だった。
ところがである。昨日、それが見つかったのである。祈りは通じるというか、郡山出身の女子大生が知らせてくれたのだ。手紙には「紫陽花」と題する漢詩原文と、訳詩とが書かれ、白楽天詩集、巻五に収録とあった。
くり返し読みながら、彼女の親切と思いの叶った喜びに体中が熱かった。
招賢寺という寺に咲いていた名前のわからない花を見て作った詩であるという。色紫にて気香ばしく、芳麗愛す可く、頗る仙物に類す。と、美しい調べは続いてゆく。この花はいつ仙壇の上に植え、いっこの寺に移し植えたものであろうか。誠に俗気のない高雅な花である。たとえ俗界には在っても、その名を知る人もない。よって私が紫陽花と名づけてやろう。
そんな詩意であるとの添書もあった。まさしく日本のあじさいのイメージそのものではないか。百数十年前、この詩に、あじさいの面影を重ねて、あじさいと読ませた小野蘭山という人を、しみじみ素敵な人だと思う。
千年の昔、白楽天によって名づけられたこの高雅な花は、現在どうなっているのだろうか。新たな感慨が雨に参んで紡佛としてくる夕暮れである。
(おおいしくにこ 大沼郡本郷町在住)
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