教育福島0063号(1981年(S56)08月)-030page

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随想

 

ほんもの

工藤力忠

 

たのですから、見るもの、聞くもののすべてが初めての経験ばかりでした。

 

農業についてはまるで経験のなかった私が、農業高校に勤めるようになったのですから、見るもの、聞くもののすべてが初めての経験ばかりでした。

それだけに、戸惑いもあり、農場での実習でも、教科書や参考書を片手に指導するありさまでした。

いずれは農業後継者と、なり、活躍する生徒であります。三年生ともなると大概の実習などは、難なくこなしています。それが、私の教科書だけの知識による指導では、納得するはずがありません。

こんなことがありました。生徒に乳牛の分娩について、説明をしていると後の方が騒然となり、誰かが、「知らないくせに、知った振りをして」とふざけていった生徒の言葉が、私には痛烈な批判として心にっき刺さり、かえす言葉もありませんでした。生徒の気持ちは痛いように分かります。授業の厳しさ、恐ろしさを膚で感じ、本当に恥ずかしい思いをしました。

それからは、生徒に自信を持って、指導ができる何かを身につけていなければ、今後の授業に影響してくるのは目にみえていたので、生徒に教わるつもりでいろいろ経験し、生徒の家にも行き、父兄にも教えを請い、家畜人工授精師の資格を取得することなどもできるようになったのです。

それからは、実習指導に当たっても自信を持って、生徒に接することができ、生徒も真剣に説明を聞くようになりました。もしもあの時、生徒がただ黙って聞いていたなら、反省もせず十年一日のごとく同じことの繰り返しで、生徒からは、信頼のないままに実習指導をやっていたかも知れまぜん。

生徒は、本物を見分ける感覚が鋭いものを持っています。本物に対しては真剣に、偽物に対しては、適当な対応をしてくるものです。

生徒は、先生の前では、めったに本音は出さないもので、私は、農業に関して、経験もなく、知識も乏しかったことが、かえって本音を言わせたものと思います。このことは、いつも肝に銘じております。

本校に赴任して、現在は、食品加工科の実習を担当しています。

食物が人間の生命と生活の根源であることは、いうまでもなく、また、今日ほど、食品に対して、いろいろと論じられているときもありません。

食品加工科では、食品の製造実習があります。出来上がった製品を、中学校時代の恩師に試食してもらうのだと一生懸命になっている生徒もいます。

私は、実習に当たっては、二つの信念を持って指導に当たっています。

第一は、「洗う」こと。第二は、正確に「計量する」ということを徹底して、実習に携わっています。この二つの操作が加工実習には欠かせない基本的条件であると信じております。

特に衛生観念の大切さを身を持って体験させたことがありました。

製品検査中に、頭髪の混入を発見したのです。細心の注意を払っての混入ですが、食品製造のむづかしさを、再確認させることができ、災いを転じてよい教材となりました。

そのことが、衛生観念に敏感となり小さなことにもよく気づくようになり長髪にしても、その髪に責任を持ち、身だしなみをきちんとできる生活習慣を、実習を通して学ばせたことは、けがの功名となりました。

今までは、実習といえば授業の緊張感から開放され、息ぬきの場となり、雑談などを交しながら行っていたが、それがきっかけとなり、特に三年生は自覚して、責任を持ち、実習に取り組むようになりました。

(福島県立会津農林高等学校主任実習講師)

 

実習から知識を

実習から知識を

 

 

 


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