教育福島0063号(1981年(S56)08月)-029page

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随想

 

今昔教師像

石黒建之介

 

る。最近は、生徒がアダ名で呼んでいるのを聞くことが少なくなったようだ。

 

世にいう「名物先生」の思い出は、誰もが持ち、折りにふれて懐かしむものである。その人がかつての恩師であったり、同僚であったりする。そして生徒は、その先生に格好のアダ名をつけて喜んだりする。最近は、生徒がアダ名で呼んでいるのを聞くことが少なくなったようだ。

私の少年時代の記憶でも、単に少数グループにのみ通用するアダ名ではなく、全校生あげて愛称を奉り、伝統として先輩から後輩へと受けつがれていた。ヒゲダルマは、まさしくその顔にネクタイの代りに手ぬぐいをしめて入学式に登壇して、新入生を驚かせた。豆タンクは、小柄の老体ながら意気盛んで、生徒に気合いを入れて回り恐れられていたが、憎めなかった。戦後の豆タンク先生も新しい教育に戸惑ったようで、「いうことを聞かないと単元(単位のこと)をやらないぞ」と生徒をおどかしたりした。

旧制松本高校で長らく数学の教授をした蛭川幸茂氏の自伝「落伍教師」には、自画像と生徒の様子が、痛烈なバーバリズムで描かれている。蛭川教授は生徒に、ヒルさんまたはヒルコウと愛称され、陸上競技部長としてインターハイの折りなど、グラウンドに菰をかぶって寝て、こじきと間違えられたという話は、当時の松本高校の生徒だった作家の北杜夫の回想にもある。氏が、自ら「落伍教師」としたのは、氏の教師としての生き方が、「世間にいう教師」からは並外れた行き方であり「ついて行けぬ教師」ということのようだ。

しかし、寮で生徒と起居をともにし生徒以上にバンカラ振りを発揮しながら、生徒を可愛がり、面倒をみ、インターハイに熱中する様子は、何とも爽やかである。戦後は学制改革とともに小学校の教諭になった。旧制高校生の野蛮粗野は生活の中に見られる虚飾の無い純粋さと、子供の純心さに共通のものを感じたからだという。名物先生は今流には、自己顕示欲の現れといわれるかも知れないが、単に奇をてらうのではなく、人柄の惨み出た素朴で愛すべき一徹の信念から生まれるものであろう。

今、どの学校でも、校内外に多くの問題を抱えて、その対策のためにも組織化が進み、教師もその中にあって仕事を進め、問題の解決を迫られる。

次のような実験があったという。日本人の幾人かのグループと同人数の外国人グループに、同一のプロジェクトを与えたところ、日本人グループはまず役割り分担の組織作りに熱中し、外国人グループは、各自が思うままに好きな仕事に早速取りかかったという。いずれが効率が良いかは別として、われわれ日本人は、組織作りが好きであり、組織集団の統一意思のもとに行動することを是とする気風があり、これが効率良く働いて今日の日本を形成していると思われる。産業面で世界市場を脅かしているのも、組織化、管理化の効力が絶大といえよう。

多様な価値観を持った個人の集まりとしての組織が、その効率を発揮するには、意思や士気の統一が必要だが、果たして、われわれの価値観がそれ程に多様化しているだろうか。むしろ、集団帰属意識が先行する非個性化があるように思われる。組織化を好む裏には、案外、封建時代の残滓が変形してわれわれの心の中にひそんでいるのではないかと妄想したりもする。ともあれ現代社会はますます複雑となり難問が族生してくると、個人の力量不足を組織の力が補って余りあることも、われわれの教育現場で経験するところである。

組織の中に生きる現代教師の像に、名物先生的自由闊達な像を重ねて考えて見るのも如何であろうか。

(福島県立四倉高等学校教諭)

 

 

 

 

 


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