教育福島0063号(1981年(S56)08月)-044page

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International Year Disabled Persons

International Year Disabled Persons

There:FullParticipation and Equality

 

こぼればなし

 

乾燥しきったような社会背景の中で時の刻みだけがやけに大きく響いてくる。こころを置き去りにしたままで、人は人の心を忘れてしまったのだろうか……。

書店のかたすみに一冊の本を発見した。昭和四十三年、旅先の田舎町でのことである。文章には、筆者のこころが激しく息づき、青春と生きることの証が、理想と感情の波のうねりを伴って表現されている。読み手に感動を与えずにはおかない本1「この生命ある限り」(昭43講談社)−との出合いであり、大石邦子さんとのこころの出会いであったっ

今月号の巻頭言執筆をお願いした大石邦子んは、通勤途上、不慮の事故に遭遇された。その後の大石さんの療養生活は、厳しいものであったにちがいない。それはまた、若い青春であったからこそ、せつなく、くるおしいものでもあったろうと思う。だが、大石さんは力強く生きた。決して自分に負けはしなかった。苦しみの中から、「この愛なくば」(昭47講談社)、「この胸に光は消えず」(昭55講談社)、「この窓の向こうに」(昭53講談社)の作品を発表した。

「この愛なくば」は、昨年の芸術祭大賞を受賞したテレビドラマの原作であり、「この胸に……」は、第二回福島民報出版文化賞に輝いた。また、少年伝記「野口英世」(昭55歴史春秋社)の出版は記憶にあたらしい。そのほか、「いのち」をはじめとする歌集も出した。その一字一句は、大石さんの「まごころ」であり、「生きる」ことを真正面に据えた珠玉である。

今、手持ちの「この生命ある限り」は、陽にやけてその体裁を失ってしまったが、今秋には講談社文庫になるという話も聞いた。車椅子の大石さんのそのまごころを忘れない勇気と力強さを、われわれもみならいたいものである。

 

あとがき

 

○ 親友が、最近流行の家庭菜園をはじめた。購入したての鍬を手に、せっせと土壌づくりに励んだ。畝も上手くできた。農業を営む教え子から、ナス、キュウリ、トマトなどの苗をもらい植えつけた。ここまでのところは、まあ合格点をやってもよい。が、話には続きがある。

○ 翌日彼は、それぞれの苗の根元にみっちりと肥料を施した。次の日曜日、畑に行ってみると、植えたはずの苗が、ものの見事に消えてしまい、雑草が繁茂している。育てなければならない苗が肥料がれして、かわりに、十分すぎるほどの栄養を雑草が吸収してしまったわけである。彼は教え子氏から言われたそうだ。「肥料をいっぺえくっちゃからって、いいわけなかんべ。苗の状態をよく見て、適量をくれねきゃだめだよ」と。

○ 教育の場にあってもまた、しかりと思うのである。 (ひ)

 

 

 

 

 


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