教育福島0070号(1982年(S57)04月)-030page

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東西南北

 

川内村「三匹獅子舞」

 

相双教育事務所

 

獅子舞には、獅子頭からたれた幕の中に、一人ないし数人が入って舞うものと、一つの獅子頭を頂き、腹に太鼓をつけた、一人立ちの獅子が三頭、六頭等組をなしてはなばなしく舞う獅子とがある。本村の場合は後者で、俗に三匹獅子といわれているものである。

現在、本村には、四百年の歴史をもつ高田島、西郷、町、西山の四つの獅子舞がある。これらの獅子舞は、毎年五月五日と九月七日の諏訪神社の例祭に披露奉納されている。

四つの獅子舞は、いずれも太郎獅子次郎獅子、女獅子による三匹で女獅子をめぐっての葛藤がテーマであるが、舞の展開にはそれぞれ特徴がある。例えば高田島獅子は「案山子がかり」という舞で、芸が非常にこまかく綿密であり幼児が舞うものである。その他は、「山がかり」「庭がかり」の二種に大別された舞である。ここに、西郷獅子舞のあらましを紹介したい。

西郷獅子は、祭に巫子舞や神楽に先だって舞われるものである。獅子の姿は、張り子の頭に腹太鼓をつけ、衣装は、かすりの半切にたっつけ袴をはき赤緑の紺手甲、紺の脚半、白足袋、赤緒の麻裏草履ばきである。舞は「まいだし」という笛で始まり、次に女獅子が舞う。それが終ると次郎獅子の番になる。次に歌になるわけであるが、その時は、三匹ともすわって所作をする。二回目の歌の終わりころ三匹とも立つのであるが、このころが全体の舞の中ごろである。このころから俗に言う「きり合い」もしくは「咬み合い」という舞になり、太郎獅子と次郎獅子の争いが始まる。先に次郎獅子が勝ち、次郎獅子が女獅子と共に立っているうち、勢いを回復した太郎獅子が立ちあがりひとりで舞う。そしてまた、次郎獅子との「きり合い」の舞になる。こんどは太郎獅子が勝ち、太郎獅子と女獅子が一緒になっているとき次郎獅子が舞いやがて舞が終わると太郎獅子、女獅子、次郎獅子の順に列をなして、小きざみな足どりで四方汐巡るように庭を舞う。これで舞のすべてが終わるわけである。これに要する時間は、およそ四十分から一時間位である。

これを舞う役者であるが、昔は、五、六歳から二十歳までの長男に限っていたが、本村にも過疎化の波がおしよせ、青年の離村などから、現在は、小学生を中心に、有志による甲組青年会や諏訪神社の氏子の人々など生活の中にとけこんだ素朴な神社信仰をもとに保存継承されてきている。

この獅子舞が、四百年の歴史をもつといわれながら、いつごろから本村に入り伝えられるようになったのかはさだかでないが、延宝のころ、西山の百野に来住した吉田久次が伝授したものといわれている。吉田久次が、元禄時代(一六九一)に獅子舞の免許状を与えていたことが、若松家に保存されている免許状から判明し、また、西山獅子の獅子頭に「延宝三歳卯八月求之、楢葉郡上川内村」とあるところから。免許状より少し前の延宝三年(一六七五)頃から現在まで引き継がれてきたものである。これらの記録は、獅子舞のものとして、残っているものとしては、県内最古のものといわれている。舞そのものは素朴であるが、強い躍動感はみごとであり、阿武隈山系に多くある獅子舞の中でも、価値の高いものとされ、双葉地方の代表的古典芸能となっている。また、本村の獅子舞は、村で最も重要な行事として伝わっているので、これに奉仕する人々は真剣そのものである。祭が近づくにつれ、練習の笛や太鼓がいずこからともなくきこえてくる。昭和五十三年、県の重要無形民俗文化財に指定される。

(社会教育主事・川内村派遣 渡部健次郎)

 

三匹獅子舞

三匹獅子舞

 

 

 


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