教育福島0071号(1982年(S57)06月)-047page

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県指定史跡及び名勝

梁川城跡及び庭園

 

梁川城は、伊達氏にとって鎌倉時代に築営されたとみられ大永三年(一五二三)伊達稙宗が陸奥国守護に補任されるに及んで奥州の政治的中枢の地位を占めるに至った。天文元年(一五三二)植宗が本拠を桑折西山に移して以後は、伊達領国の重要な支城となり、天正十八年(一五九〇)蒲生氏の支城、慶長三年(一五九八)上杉氏の支城となったのち、寛文四年(一六六四)廃城とされたが、文化四年(一八〇七)から文政四年(一八二一)の間には松前章広の本拠となった。

明治三十二年(一八九九)梁川小学校が本丸跡に移転し、第二次大戦後は二の丸の地に中学校・高等学校などが建設されて城跡の景観は変えられたが、なお本丸跡土塁、同庭園、桜館跡(新公園)、三の丸跡などに往時の梁川城の姿が残されている。

昭和五十四年から五十六年にかけての発掘調査結果によると、本丸跡からは室町期から江戸期のものとみられる建物跡遣水遺構、小石敷、炉、陶磁器片(十五から十六世紀)、宋銭明銭などが発見され、中世伊達氏以来の居館の存在が確認された。また、庭園は居館との関連および昭和五十三年から五十六年にかけての復元工事に伴う調査によって、伊達氏居城の時代にまでさかのぼることが判明し、現存する城郭本丸の庭園の全国稀有の例として極めて貴重である。三の丸は、上杉期の慶長四年(一五九九)頃までに整備を終えたものと推定され、当時は侍屋敷がおかれた。

現在、土塁、堀などが残され、梁川城の現存する重要部分と認められる。

 

所在地 伊達郡梁川町鶴ケ岡・字桜岳地内

所在地 伊達郡梁川町鶴ケ岡・字桜岳地内

所有者 梁川町ほか

(面積 本丸跡21,324.87平方メートル、三ノ丸跡15.793平方メートル)

 

 

 


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