教育福島0075号(1982年(S57)10月)-005page

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巻頭言

 

一の肥やしは

丑込 幸男

 

すまいと慎重に見て回る懸命な彼の背を、秋の太陽が斜めに照らしていた。

 

日だまりの恋しい先日の昼下がりこの道二十年という菊作りの知人を郊外に訪ねた。三十程もあろうか黒い鉢は三列に並べられており、一枚の葉の少しの変化も見逃すまいと慎重に見て回る懸命な彼の背を、秋の太陽が斜めに照らしていた。

“菊作りは土作り”といわれ、冬の培養土作りにはじまり、年間の栽培計画がたてられる。錦秋の菊花展を飾る色・形さまざまな花は、菊作る人の長期にわたる細やかな愛情の結果なのである。

 

外で遊ぶ子供の姿があまり見られなくなった。夕焼けのあかね雲が黒ずみ、夕餉の匂いが路地に漂うころ、あしたを約束して指切りをする長い影法師は、テレビの映像の中に吸い取られてしまったのであろうか。

遊びの時間は、子供たちが自由に使える時間である。彼等は、その場所にむく遊びを工夫し、友だちと作った約束を守りながら、限りない自己表現に時のたつのを忘れる。うまくいった時は有頂天になって踊り、いさかいの後味の悪さは、つき合いのしかたを反省させる。−−だのに、子供たちは家に引きこもったまま出ようとしない。

 

田んぼのあぜ道で、奇妙な光景に出合った。カバンを背負ったままの数人の少年が、なにやら大声で叫びながら、大仰な身振りで踊っておりその傍らには、日焼けした老人が、手拍子をとりながら、これまた妙なしぐさをしている。聞くと、郷土芸能の伝承グループの少年たちが、学校帰りに指導を受けているのだという。小柄な好々爺は、獅子舞の先生であった。

そういえば、菊作る彼も、招かれてクラブ活動の指導をしているといっていたし、クリーン作戦の先頭に立つ若者やスポーツのリーダーも多く見かけるようになってきた。それぞれの特技を出し合って、子供たちに声をかけようとする人が少しずつ増えてきている。町内の世話好きなおばさんも、頑固なおじさんも、ほんとうは、みんなが声をかけたがっているのに、若い母親や遊びを知らない子供たちが、それをこばんでいるのではないだろうか。

 

菊作る人たちの間で“一の肥やしは主の足あと”といわれている。見回ることの大事さをいったものである。あししげく苗床や鉢を訪れ、生育が悪ければ、なぜかと思案し、害虫には早目に手を打つのである。

心豊かな青少年を育てるために、親も教師も、そして地域の人々も、それぞれの立場から“一の肥やし”は何かを改めて考え直してみたいものである。

彼の丹精こめた菊は、今年はどんな花を開いてくれるだろうか。

(うしごめさちお・県社会教育課長)

 

 

 


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