教育福島0075号(1982年(S57)10月)-006page

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提言

 

首長竜の発見

鈴木 直

 

筆者紹介

 

筆者紹介

昭和四十五年福島県立平工業高等学校卒業後、日本鉱業株式会社、国立科学博物館(臨時職員)、東邦亜鉛株式会社を経て、この四月から(財)いわき市教育文化事業団に嘱託職員として勤め、主に発掘調査の仕事に関係している。

高校在学中(二年)の昭和四十三年に八千万年前の首長竜の化石を発見。これは氏の名前をとり、「フタバスズキリュウ」(学名は、ウェルシオソウルス・スズキィ)と名づけられた。

後に、一頭分の外に、子供を含む六頭の首長竜を十層準より確認した。

 

中生代のジュウ紀(一億九千五百万年前)から、白亜紀(六千五百万年前)までの約一億三千五百万年の間、海の覇権を独占していた大型海棲爬虫類の一群である首長竜は非常にユニークな体型をしていた。その体型を説明するには、海亀の体に短かめの尻尾と長い頸をつけ、頭部の顎には鋭い歯を備えつけた動物といった表現がぴったりするだろう。

私が、この首長竜とかかわりをもって十四年目になる。その当時高校生だった私は、双葉層群といういわき市北方に分布する白亜紀に海で堆積された地層から、昭和の初めごろ、徳永重康、清水三郎両博士によって発見、報告された首長竜の頸椎骨が脳裏から離れず、その産地の確認と、再追加の標本を得たいと考えていた。ちょうど伯母の家が、徳永、清水の両博士が首長竜を発見したという地点の近くにあり、夏休みなどを利用しては泊りがけで調査をしていた。

昭和四十三年に、国立科学博物館の小畠郁生博士が、地質学雑誌に「双葉層群の上限について」と題された化石層序学に基づく、双葉層群の時代論を述べた論文を発表された。この様な関係で小畠先生と同館の古脊椎動物専門の長谷川善和先生に御指導を仰ぐこととなった。それと前後して、伯母の家から約三百メートルほどいった大久川上流左岸露頭で奇妙なものを見つけた。植物化石様の茶褐色をした薄

 

 

 


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