教育福島0075号(1982年(S57)10月)-056page

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こぼればなし

 

澄んだ空気をとおして、早い落葉が遠くで風に吹かれている。山の端のむこうで、刻々と変貌しているのは、あれは片雲。原色が彩る花野は、わびしくてそれでいて可憐。はなやかさと淋しさの同居している世界であると、この季節になるといつも思う。現実を、ほんの一寸わきのほうにおき忘れて、しばしこのファンタジーの音色にひたっていたい念にかられる。

秋の野といえば、憶良の歌に代表される七草を思い出す。萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝貌の七種を、憶良は秋の草花の一等に詠んだが、どちらかといえば、あでやかさよりも控え目なこれらの花が、古来、日本人の「好み」にあっているからであろうか。

尾花は、「…正体見たり枯尾花」でもわかるように「薄」。馬のシッポに似ているからという。朝貌は、「桔梗」とも。おもしろいのは、葛をのぞいて、「襲」の色目になっていることである。

色に敏感な、平安女房の生活をかいま見るおもいである。もっとも、葛は、繊細で女らしい風姿をもつ女郎花とくらべてみても「うらみくずのは」では、やはりやりきれないであろう。女房生活になじまないのも、うなずけるというものである。

閑話休題。福島県の花は、ネモトシャクナゲであるが、これはヤエハクサンシャクナゲで知られる名花である。

昭和二十九年NHKが、全国都道府県を代表する花を選んだ折りに、本県の代表になり、そのまま県花に指定された。この時に、安達太良山に自生しているものが、県指定の天然記念物に、また、吾妻山のものは、すでに大正十二年に国指定の天然記念物になっている。ネモトシヤクナゲの説明にいう。「ヤエハクサンシャクナゲともいう。ツツジ科ツツジ属。葉は広く薄く、葉裏に綿毛なし、つぼみ時は淡紅色で七月ころ開花すると赤みはうすれ白色に緑斑があるのが普通、まれに淡紅のときもある。本種は、ハクサンシャクナゲの八重咲き種で、分布は、東北、日光、長野の亜高山帯から高山帯までに限定される。県内では、吾妻山と安達太良山近くの箕輪山、笹平一帯に自生している……」

明治三十六年、福島県師範学校教諭根本莞爾の助手であった中原源治は植物採集の作業中、吾妻山大根森で花びらが八重のハクサンシャクナゲを発見した。この標本が根本莞爾の手を経て、牧野富太郎のもとへ。根本は、後に東京帝室博物館に勤め、植物の整理に専念、牧野富太郎と共に不滅の名著といわれる「日本植物総覧」を刊行した傑物であるが、植物学者牧野は、根本莞爾の還暦を記念して、この珍種に「ネモトシャクナゲ」と命名したという。昭和八年のことである。

発見者の中原源治は、植物学者で、明治三十八年、牧野によって命名された世界的珍種ビャッコイの標本提供者であり、自らの名が冠された福島の弁天山で採集した「ゲンジウツボ」の発見者でもある。霊山の石田尋常小学校や福島の吉井田尋常小学校の訓導となり、学校教育にその身を奉じたが、植物研究に対する情熱はやむことなく、その後、研究のために、北米に渡り、異郷の地で没したと聞く。

西の山に落ちる陽のかげが、長く尾をひいている。枯れ野の色も、しのびあしで近づいて来る。

 

ネモトシャクナゲ

ネモトシャクナゲ

 

 

 


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