教育福島0075号(1982年(S57)10月)-058page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

教育福島0075号(1982年(S57)10月)-058page


県指定重要文化財(建造物)

 

飯野八幡宮本殿 1棟

所在地 いわき市平八幡小路84番地

所有者 飯野 八幡宮

 

(柱真々 六、四一メートル)入母屋造、板葺き 向拝および一二方縁付き〕

 

〔方三間(柱真々 六、四一メートル)入母屋造、板葺き 向拝および一二方縁付き〕

 

神社由緒書によると、建永元年(一二〇六)京都石清水八幡から御正体遷座による創祀と伝え、もと北方の物見が岡に建てられたが、慶長年間の鳥居氏の平城築城にあたって、慶長七年

(一六〇二)現在地に移されたものと伝えられている。現存本殿の建立に関しては、背面通り二本の柱の床下部分に「きのとう、元和元年八月二十四日此のミヤをたて申し候なり」「元和弐年八月むねあげいたし申し候也」なとの墨書があり「平七」「与蔵」「ろく平」「作治」などの職人名も記されている。元和二年(一六一六)の上棟、翌三年ごろの竣工とみておいて、ほヾ間違いない。慶長の移建に当っては、桜門・宝殿・舞堂・十一面堂以下多数の建築物群が整備されたが、これらは、慶長一九年(一六一四)の火災ですべて焼失したことが記録されているから、この本殿はその直後の再建といろことになろう。

方三間ながら梁行・桁行ともに六、四メートルをこえ、丈も高く、近世初期の本殿建築としては、特に規模が大きく、雄大であるのが特徴的である。軒の出も深く、二重の繁垂木を和様の二手先組物で支え、木鼻・懸魚・蟇股などの絵様から、向拝廻りに至る繰型・彫刻の類もすべて時代を反映して入念なものである。ただし、大屋根の垂木は延宝年間(一六七五ころ)と由緒にいう軒廻りの修理に際して、若干変えられているらしい。

内部は一間通りを板敷の外陣、扉で隔てたその奥を畳敷きの内陣とし、柱や造作には墨塗りを施すとともに、内陣の円柱には、金箔を押し、さらに内外陣の格天井には極彩色の文様を描くなど全般に派手である。現況は板葺き軒の風蝕が著しく、鉄板被覆による応急修理を実施したものである。

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。