教育福島0076号(1982年(S57)11月)-022page

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随想

 

視聴覚考

 

片野淳一

 

片野淳一

 

教室には、VTR、OHP、テープレコーダーと、各種の機器が並んでいる。

今日は、S先生が校内研修で授業をするところを私が同学年担任として、同じ授業案で検証してみよらというのである。今年は社会科の県大会を控え私たちの学年も張り切っている。

S先生は頑張り屋である。今回の授業は、「海で働く人たち」を扱う事になったのだが、問題となったのは、いかに浜通りとは言え、常に漁師の生活に接しているわけではない。そこでどうしても視聴覚教材の助けを借りて、未体験領域を疑似体験、既体験領域へ引きこむ必要があると言うことになった。S先生は大ベテランの女先生である。これまでの経験から、各種の機器を使っての授業は、たしかに大変である。機器と聞いただけでしりごみする女先生の多い中でS先生はそれに取り組んでくれた。

S先生の御主人も、学校の先生である。その御主人の前任校でのビデオライブラリーの中に、「海で働く人々」のカセットがあると聞き、御好意に甘え借用することにした。同学年担任五人、私を除けば大ベテランである。ビデオの中で活用できるものを選び出し指導過程ができあがり、私の検証授業となった。張り切らざるを得ない。

授業は無事終了。授業案通りとは言えないまでも、まずは成功の部類か。ビデオの画面に食いついてくる子供たちの顔、顔。私の声を吹き込んだテープレコーダーを、漁師さんそのものの声と思いこんで、真剣に聴き入る目、目。この顔があるからこそ、この目を見たいからこそ、教材作りは大変だといいながら、ついついのめりこんでしまうのかな、などと思ったりもする。

十五年前新採用教員として初めて受け持った子供たちは、三、四年生の複式七名であった。複式を複式に終らせたくないと思い、最初のボーナスで手にしたのが、オープンリール式の小さなテープレコーダーだった。へき地での何年間かをどのぐらいそれに助けてもらったか。思えば、これが視聴覚教育との最初の出会いだったわけである。以来、私の勤務先が教科の研究校であったり、視聴覚教育を手がけていたりで、他の先生方に比べて機器に親しむ機会が多かったこともあったのだが、視聴覚機器と深く結びついていくきっかけができたのは、やはりあのテープレコーダーだったような気がする。

現在のテープレコーダーは、その時から数えて三台目である。今どきオープンリールの三号などという小さなものを購入しようと思うと、我が原町市ほどの電気店には置いていないし、今ごろそんな機械をお使いですか、などといわれる。そんなわけで、現在はステレオラジカセといわれる様な代物に変わってしまったわけであるが、子供たちに対する気持は、今も変わっていない。

ここ十五年間に、私の周囲の教育機器もずいぶん変化してきたと必う。OHPがめずらしがられ、研究対象の先陣をきっていた時代は過ぎ、今や日常の学習活動の中に定着してきている。教師が使うだけにとどまらず、一年生が自分の発表にOHPを使いこなす時代である。OHPに限らず、他の教育機器についても同じようなことがいえるのではないだろうか。私たち教師はこれからの教育現場に、ますます機器が導入されることがあっても、減ることは無いことを肝に銘ずるべきではないだろうかと思う昨今である。そんなわけで、今私は、VTRを授業に生かすべく、同学年の先生方と暗中模索の毎日を送っている。

(原町市立原町第一小学校教諭)

 

子供の顔、子供の目

 

 

 

 


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