教育福島0076号(1982年(S57)11月)-044page

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こぼればなし

 

冬型気圧が北にはりだした二±二日夜、西高東低の典型的な気圧配置にそそのかされるように、「押し風」が台風なみの勢力をもって吹き荒れた。翌日の報道では、全国各地の初雪、初氷、木枯し一号が話題をにぎわわせた。この日、十月二十四日には、福島でも吾妻山に初冠雪が見られ、南会津の里では積雪二センチを記録した。立冬にはまだ間のある、この時期として、例年より早い雪の訪れであったに違いない。

 

世界でも有数の多雪国であるわが国では、何かにつけ雪が素材にされることが多い。美術展などに足を運んでみると、雪景色の「雪」そのものの色が、それぞれの作者の心象風景とあいまって、観るものに、自然の厳しさや生活のやすらぎ、ぬくもりを、透徹したある種の響きを伴って伝えてくれる。この驚きにも似た感動を生活の中で、大切にもち続けていたいと思う。

 

雪にまつわることばも多い。豪雪、雪崩となると現実的すぎてしまうが、粉雪・細雪・綿雪・沫雪・牡丹雪女の腕捲くりと春の淡雪…と続いてくると何やら「絵画的交響詩」の世界に立ち入ったようで楽しい気分にさそわれる。それは、人生を厳しく生きたものへの哀愁にも連なる悲しみである。

 

宿かさぬ燈影や雪の家つづき 蕪村「句稿屏風」

雪ちるやおどけも言へぬ信濃空 一茶「八番日記」

 

雪の結晶は幻想。科学がっくりだした美の謎の世界である。結晶の研究史については、専門家の間でも、今だにはっきりしない部分があるらしいが、写真版を利用しての研究ということになると、W・A・ベントリーの「スノー・クリスタルズ」(一九三一年)あたりを、その出発とするらしい。本邦で雪の博士は「雪の研究」(一九四九年)で有名な中谷宇吉郎。これらの中には、雪の結晶のとりうるほとんどすべての形が掲載されているという。今や、研究家にとっての古典的典籍である。

 

ところでベントリーや中谷宇吉郎が、雪の研究を始める百年も前に、わが国で雪の結晶にかかわる一冊の本が発行された。「雪華図説」と題する木版本である。現在の茨城県古河の城主土井利位の研究によるもので、この殿様は、オランダ製舶来品の顕微鏡をのぞいて結晶の細かい形まで図譜したという。それにしても、いかに雪国日本とはいえ、限られた季節の中での研究を考えると、辛抱のいる作業であったろう。「下にイ・下にイ」「下がりおろう」の時代に、この殿様は、科学の一ぺージに自らの成果を問うたのであった。時に一八三二年・天保三年のことである。

 

雪の結晶は、大雪山で行われた観測によると、空気一立方メートル中に、ほぼ一万個存在するそうだが、この結晶を全部集めても○・一グラムにしかならないという。また、雪は、時によって霙・霰・雹と変化する。固くまるめることもできるし、反面、屋根の雪は、自然とすべりおち、軒の下にたれさがる。雪の力学をもちだすまでもなく、かたさとやわらかさの両性をもつ。

してみると、雪は自然の道化師なのだろうか。

 

吾妻山、初化粧 (読売新聞社福島支局提供)

吾妻山、初化粧 (読売新聞社福島支局提供)

 

 

 


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