教育福島0077号(1982年(S57)12月)-024page

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随想

 

理想と不安と現実と

 

国分 和子

 

国分 和子

 

はじめて生徒と顔を会わせてから、早いもので半年が過ぎた。

ずらりと並んだ生徒の顔を見渡して緊張と不安を覚えながら話したことも記憶に残っていない。長い長い一時間を過ごしたのが、つい昨日のことのように思える。

中学生にとっては、音楽の時間は息ぬきの時間だと赴任前に聞いていた。それで、私なりに息ぬきにならない音楽の授業を理想に描き、授業の構想も練っていた。しかし、いざ教壇に立ってみると、予想以上に大変だった。

歌は歌わない、おしゃべり、椅子を倒す、席を離れるといった騒音で、私の声はかき消されてしまう。あれもこれもと準備した教材を半分も消化できないまま、ぼう然としてしまうこともたびたびあった。生徒たち全員が敵のように思えたこともあった。

しかし、そんなふうに私を困らせる生徒たちが、授業をはなれると本当に親しげに話しかけてくるのだ。あきっぽいけれども、純粋で人なつこい生徒たちの性格が、私にもだんだんにわかってくると、かわいいと思うようになってきた。授業中のおしゃべりに対しても、カッとなって生徒と対抗するようなおこり方はしなくてもすむようになった。

少しずつ生徒たちのことがわかってきて、授業にも慣れてくると、今度は自分の指導力のなさや教材研究の不足がたまらなく不安になってきた。こんな授業から、生徒たちは何を学びとってくれるだろう。この一年、何も与えることができずに終わってしまうのではないだろうか。ああしたい、こうしたいと思いながら、理想とはほど遠い授業しかできず、次々と不安に襲われた。あきらめの気持も半分あった。そんな悩みを友達に会って話してみると、誰もがそんな状態で同じ様な悩みを持っていることを知り、安心したり勇気づけられたりした。そして、それぞれが自分なりの方法でこつこつと努力していることもわかり、がんばらなくてはと思った。

授業のほかに器楽部の指導がある。課外活動とはいえ、経験がない。指導できないでは済まされない。生徒たちは私の指導力不足を敏感に見破って勝手気まま、たちまちお遊び集団化してしまう。八月のコンクールに向かって苦悶の毎日が続いたが、校長先生、部活後援会の皆さんの暖かなご援助もあって、くじけずに努力を重ね、県大会で金賞を得ることができたのは望外の喜びだった。指導法をご教授いただいた大友雅晴先生の恩ごは、生涯忘れ得ないと思う。

二学期になって校内合唱コンクールの練習がはじまった。日を追って練習を続けるうち、生徒たちの顔つきが変わってきた。後ろの方でおしゃべりに夢中だった生徒が一番初めに来て、「先生、早く歌おうよ」などと声をかけてくる。終了のベルが鳴ってもピアノの回りをはなれようとせず、その熱意には圧倒されそうだ。私は本当に驚いてしまった。目的に向かって努力する姿勢や情熱、歌うことへの愛情をこの生徒たちは十分すぎるくらい持っていたのだ。

試行錯誤のくり返しである半年だが生徒たちにとってはこの上ない貴重な時間なのだと、責任を痛感している。

これからもきっと生徒たちは私を悩まぜるだろうが、生徒の音楽に対する豊かな感受性、希求力を正しく受け止め私自身がもっと新しいものに挑戦したり努力する姿勢を持っていきたいと思う。生徒たちが力いっぱい活動してやりとげた喜びを少しでも多く味わわせてやれる教師になるよう、私も一緒に学んでいきたい。

(相馬市立中村第二中学校教諭)

 

 

 

 

 

 


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