教育福島0082号(1983年(S58)07月)-046page

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ふるさと探訪

 

県指定重要有形民俗文化財

相馬野馬追額 ◆川斎義之筆

 

《三面》

各額面は桐板、縁は桧材、黒漆塗、九曜紋の金銅板の飾金具をつけた同形式同大の絵馬額で、もと東京都にあった旧相馬藩邸の妙見社に奉納されていたものである。

相馬野馬追の祭事は、古く領内に放牧していた野馬を狩り、そのうち数頭の駿馬を相馬家代々崇敬する妙見社に奉納する慣行があったが、江戸時代中期、五代昌胤が、貞享、元禄の頃、武田流の兵学を藩士に伝えるため、講武と祭祀をかねて、原町市雲雀ヶ原において盛大に行うようになった。江戸末期において、この行事は整えられたが、明治の変革に際して廃絶し、中村、太田、小高、三妙見の祭典として復活、現今のような形式に改められた。

 

相馬家には、江戸中期に製作された相馬野馬追絵巻一巻があったが、今次戦争により焼失したので、江戸時代における相馬野馬追の実況を知るには、本額面は貴重な資料である。本額面は、一は行列図一写真のもの)、二は野馬追図、三は野馬懸よりなり、現在行われている行事とは相当の差異が見られる。

野馬追図額の右下隅に「浦◆川斎義之画」とあり、筆者はあきらかでない。相馬野馬追絵図としては、三枚つづりの広重筆の錦絵があるが、これは本額面を基にしたものと見られる。製作年代は、十八世紀頃であろう。絵は岩絵具の厚ぬりの部分が相当剥落しているが、往時の野馬追実況を知るには貴重な資料であり、風俗史料としても、みのがすことができない。

 

所有者 相馬小高神社所在地 相馬郡小高町大字小高字城下一七三番地

所有者 相馬小高神社所在地 相馬郡小高町大字小高字城下一七三番地

 

 

 


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