教育福島0084号(1983年(S58)09月)-007page
提言
目からなみたがながれていた
中野くんが
「人間とねずみはおなじやなあ」
っていった
ここで二人の子か体験したのは、人間とかねすみと言った区別を越えて、「生命」そのものに直接触れた感動である。この原体験は、やがて「人間愛」とか「平和」の核になるべきものであろう。「人間とねずみはおなじやなあ」と言う一行は、そんな重みを持って響いてくるのである。
弟
小学五年 女児
テレビトラマ
走れ!レックスを見た
男の子が大切にしていた
競馬の馬か足の骨を折った
最後に馬が手術を受けて
数日後に、死んで行った
弟の方を見ると
目を真っ赤にして
声を出さないで
静かに泣いている
私にいじめられて
泣いている顔とは
ぜんぜんちがう!
まるで別人みたいだ!
この詩で判ることは、「他者への静かな涙」を体験した弟と、その弟のより深く形成された人格を見て取った姉の感動である。そして、この両者とも人生にとって大切な意味を持つのだ。子ども達は「自然」や「生命」の神秘に触れ、あるいは「無限」を直感し言い知れぬ感動を持って体験を積み重ねていくのだが、そのような場合我々大人は、その体験が、その子の心により深く記されていることを願い、共感を持って向かうべきではなかろうか。