教育福島0084号(1983年(S58)09月)-006page

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はる なつ あき ふゆ

 

子どもの「原体験」

青い窓の会会長 佐藤 浩

 

【筆者紹介】

 

【筆者紹介】

昭和十六年三月東京医科歯科専門学校二年修了。目を悪くされたためと、お聞きした。その後、五年間小学校教員をつとめ、株式会社「柏屋」に入社し現在にいたる。昭和三十三年には「青い窓の会」を結成、機関月刊紙「青い窓」を発行。北海道から兵庫にいたる範囲の児童から寄せられた詩を機関紙に紹介、子供の夢を育てる詩の指導にあたっている。この「青い窓の会」は昭和五十五年度福島県教育・文化関係表彰式の席上、優良文化団体として表彰された。受賞の栄誉も多くあり、久留島武彦文化賞、郡山市優良文化団体賞、郡山市社会教育功労賞、福島県文化振興基金表彰など。また機関紙に掲載した中から、七名もの「晩翠賞」受賞者を出したことは特記すべきことである。現在、青い窓の会会長、株式会社「柏屋」相談役。大正十年郡山市の生。

 

児童詩誌の編集に携わっていると、子どもたちの新鮮な「発見」にしばしば遭遇する。それも、単なる「発見」に留まらず、深い感動を伴った言わば「原体験」とも言うべき作品に出会うと私の方にも感動が生まれて、思わず居もしない作者に声をかけてしまうことがある。

詩人の谷川俊太郎さんは、彼が小学一年の時に体験したある朝の感動を、対話集『詩の誕生』の中で、「ポエジーの誕生」と言い、「詩を考える上での一番の核になっているように思う」と言っておられるが、私にも同じような体験があって、今でも、その影響から抜け出ることが出来ない。谷川さんはその時の体験を「今朝、生まれて初めて朝を美しいと思った」と旦記に記されたそうだが、私も作文に記き留めたので、五十五年を経た今日でも、その時の様子をありありと思い起こすことができる。

さて、最近の作品の中から、その「原体験」と思われるものを御紹介してみよう。

 

ねずみ

 

小学二年 男児

電しんばしらの下に

ねずみがしんでいた

かちこちになっていた

中野くんが、手でもった

とてもかたかった

ぼくと中野くんで

「かわいそう」

っていった

しんでも かわいかった

 

 

 


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