教育福島0084号(1983年(S58)09月)-046page

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ふるさと探訪

 

県指定重要無形民俗文化財

飯野八幡宮の流鏑馬と献饅

 

 萬治三(一六六〇)庚子年八月吉日 内藤義概」の文字の残るものがある。

 

流鏑馬は九月十三日、夏井海岸における宮司、騎士、馬の潔斎にはじまり、帰途同神社に縁故をもつ久保木、青木、星野三家の庭前で、空駈とサカムカエを行う。十四日、八幡社頭の参道を馬場として、古来の方式によって扇子投げと的矢が数回ずつ行われるが、騎士の服装は藩主内藤家寄進によるものを用い、中には「奉寄進飯野八幡宮 萬治三(一六六〇)庚子年八月吉日 内藤義概」の文字の残るものがある。

流鏑馬の起源は、慶長十九年の火災によって記録を失い不詳であるが(ヤブサメ矢場の場所名は残る)、神社の伝承によれば、貞和二年(一二四六)にはすでに流鏑馬は行われていたという。

七十五膳、あるいは八十八膳とも称せられている献僕は、十三日以降潔斎をかさねた宮司以下斎員により御供所において整えられ、椀、高塚、嚢などに盛られ、十五日神前に供える。供物の内容は、餅、枝豆、河骨、柚柑、焼鮒、柚子、しろぶかし(強飯)、ひじき、かじめ、にがいも、山芋、わらび、ずいき、柿(甘)、栗、くるみ、はじかみで、このほか神酒(一夜酒)があり、これらが現在に伝えられているものである。七十五膳にはならないが、酒を盛る嚢をはじめ、十余個の内側赤、外側黒漆塗木製の容器に古式のまま盛られる。器には明暦・寛政などの文字の見えるものもある。

流鏑馬、献僕ともに内藤以来のしきたりにしたがい、厳重なものいみのもとに、古来の伝統方式を崩さずに現代に伝えられている価値の高い神事である。

 

所在地 いわき市平字八幡小路八十四番地

保護団体飯野八幡宮

 

 

 


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