教育福島0084号(1983年(S58)09月)-045page
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こぼればなし
あとがきにかえて
薄の花穂が風にゆれている。尾花の、白線をひいたようななびきは、穏やかな季節のリズムの中で、一つのアクセントをつくっている。まるで、雑踏の現実を押し包むかのように、秋の初めの風物が、いま静かに鼓動を始めた。
秋の原色は、古くからその象徴といわれている「紅葉」に代表される。ふといま、「秋の夕日に照る山もみじ、濃いも薄いも数ある中で:」を口ずさみたくなる衝動を覚える。あれは、小学校のいつのときのうたであったか::。
ところで、赤く草木が色づくのを紅葉、黄褐色になるのを黄葉などといって区別して呼んだりもするが、その紅葉する代表的なものが「楓」である。(上代には黄葉、平安以後は紅葉と表記するようになった。)このように、「もみじ」といえば、紅(黄)葉する一般の木の総称であるが、昔から、特に楓の紅葉したものを「もみじ」といって「紅葉」の字をあてて呼んでいた。花といえば、桜をさすように、もみじといえば、楓をさし、紅葉する多くの草木の中でも、最も色深く「八人の色に匂い出る」ものとして愛でたのであろう。
楓は、その葉の状態も、一葉から数葉のものまで種類が多くあるが、一般的には、掌状に深くさけているところがら、蛙の手足を連想させて、「かえるで」などとも称され、それが「かえで」と変化してきたという。
また、紅(黄)葉する木々のうちで、美しく名だたるものを「名木紅葉」といい、柏、漆、櫨、野椀、銀杏などがそれで、文字ことばのように、下に「紅葉」をつけて、「柏紅葉」「漆紅葉」などと呼ぶ。「名木」ばかりでなく、クヌギ、ブナ、ナラなどの雑木にも「紅葉」をあてて、「櫟紅葉」「山毛檸紅葉」「檜紅葉」と称しているところなど、まことに日本人的な自然とのかかわりあいが感じられて面白い。「もみじ」は、秋になって、草木の葉が色づくことを、「もみいづる」とか「もみづる」と表現したことの名残りであろう。
遠く目を転じると、霜のあがった緑の中に、薄紅をつけたような色彩が点在している。微風になでられた草木のそよぎが、目の前の全ての風景をすいとって、遠景に連続する。それは、音と色とを伴った巨大なカンバスである。
夕日が西山に傾くのを待っていたかのように虫が集き始める。虫の集く音は、一日の疲れをいやす子守りうた。それはまた、明日への糧の前奏曲でもある。 (ひ)
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