教育福島0087号(1983年(S58)12月)-041page

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教育福島0087号(1983年(S58)12月)-041page


こぼればなし

あとがきにかえて

 

早朝の工事現場での焚火を囲んだ談笑姿がほほえましい。大工さんであろうか、若い見習い風の少年が、親方の指図で盛んに雑木を継いでいる。騒音の一隅にあって、そこには、社寺の境内での落葉焚きのような静寂さや風雅は感じられないが、焚火の暖かさとあいまっての団欒であり、人の心の温かみが伝ってくる。それはまた、寒々とした冬の光景によく似合う。どこからか「かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき・・・・」が聞こえてくるような錯覚さえおぼえる。

 

初氷、初雪のあとの珍しいほどの穏やかな冬の陽ざしを受けて、街路樹の銀杏が風に吹かれている。それは、風のつくりだす円舞曲。銀杏落葉は、まるで、黄金色のジュータンを織りなしたように美しく、モノトーンな冬を彩る。

 

・・・・冬川原の石の白さのむこう側で、冬鳥が、列をつくって川面を渡っている。その無防備の背に淡い光がふりそそぐ。長いこと見慣れた枯れた荒涼とした眺めではあるが、なんとなく明るく、親しみのある午後の情景である。

このなごやいだ風景は、やがて、山の端に急ぎ足で影を映す「つるべ落し」の情趣に曳きずられるように沈黙の世界を構成する。そして、いま十二月。文字どおり、あわただしい年の瀬を迎えた。

 

十二月のあいさつは、「はやいもんですね。もう年の暮れですよ」である。後ろをふりかえれば、過ぎ去った日々はあまりにもはやい。この月日の過ぎゆくことを「月(日)の鼠」という。「賓頭盧説法経」の寓話に、

「ある人が象に追われ木の根にすがって井戸の中に隠れたところ、周囲には四匹の毒蛇、木の根には白黒二匹の鼠がとりついてかじっていた」というのがある。象は無常、鼠は昼夜、毒蛇は地、水、火、風の四大をさしている。「月(日)の鼠」の語源である。

ところで、「鼠」は、十二支の「子」である。「名語記」では、「鼠、牛、虎、菟、龍、蛇、馬、羊などかくべきに、子、丑、寅、卯などかけり」として「子」は、「孳」の意味であると説明する。万葉の世界では、鼠は「禰」である。省画して「ネ」、片仮名では「子」と表記した。

 

新しい年が目の前に来ている。迎える昭和五十九年は、「甲子」の歳。十干十二支では、六十年が一まわりの還暦であり、「甲子」は、その六十年の出発の年にあたる。それはまた、二十一世紀へむけての旅立ちでもある。

 

急がなくてもよい。ゆったりとした余裕をもって、明日への糧を得るために豊かな心の準備をしたいものである。

(ひ)

 

 

 

 

 


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