教育福島0089号(1984年(S59)02月)-007page

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提言

 

う、過酷ではあるが、ひたむきに燃えるような日々を過ごすことが出来た。その辛さを耐えさせたのは「才能はどんな地域でも育つもの」「福島の子供でも決して東京や大阪などの都会の子供に劣らない素晴らしい才能を持っていること」を実証出来る機会が次々にあったことである。ただ、無我夢中に、才能の芽をみつけることに明けくれ、鬼ばばあ、雷ばあさんのそしりもなんのその、時には形の悪い手をぴしゃりと叩き、姿勢の悪い曲った腰を突きとばし、今なら暴力教師になりかねない厳しいレッスンであったが、子供達はまるで吸取り紙が水を吸うように、活き活きとして学び育って行った。

小学校六年で全東北ピアノコンクール第一位文部大臣賞に輝いた永野美佐子、TBS音楽コンクールで全国第二位の木田真理、世界指揮者コンクール優勝の小林研一郎、東北合唱界の立役者石河清、東洋人では始めてミュンヘン国立劇場の研究生になり西ドイツで活躍している小林修、巨匠オーレル・ニョレの愛弟子で、ヨーロツパ各地で演奏活動をしている女流フルーティスト大和田葉子、作曲家としてユニークな存在の岡崎光治、今回シヨパン協会賞を受賞した若きピアニスト赤津里佳子など福島が生み、福島が育てた私の誇り得る教え子達である。確かに、この人達には大きな夢と強靭な意志があった。

私は今思う、やりたいことがある、なりたいものがある、夢みるものがある。それは、なんと素晴らしいことだろう。なんと生きがいのある人生だろうと。

しかし反面、繁栄の中の無気力さが若い人の心をむしばみ「何もすることがないから仕方なく大学に入る」大学生、「人生に賭ける夢は?」と問われて「お金ためてハワイで遊ぶ」と答える中学生、この心の貧困さはいったい誰がさせたのだろう。

一台のピアノを通して、共に歩み、夢を育て心のふれあいの中で、今ずっしりと手応えのある「みのり」を感じている私は、教えるということの喜びを、なにものにも代え難く貴重に思うのである。

 

指導中の筆者

指導中の筆者

 

 

 


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