教育福島0089号(1984年(S59)02月)-046page

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ふるさと探索

 

県指定史跡

 

白川城跡

 

感 忠 銘

 

搦目城とも称され、白河市の東方、阿武隈川南に連なる丘陵に築かれている。

 

白川城跡は別に搦目城とも称され、白河市の東方、阿武隈川南に連なる丘陵に築かれている。

山頂には現在も空渥や土塁の跡があり、付近には馬乗場などの地名も残っている。

文治五年(一一八九)、源頼朝の奥州平定に際し勲功のあった結城朝光が白河地方を与えられ、鎌倉中期以降は子孫の白河結城氏が代々この城を根拠とした。

南北朝期にいたり、結城宗広は後醍醐天皇方に属し、陸奥国府の式評定衆となり、南朝方の重鎮として活躍した。

感忠銘碑は、この城下搦目に住した大庄屋内山官左衛門重濃が、結城宗広・親光父子の忠烈を後世に伝えるため、その顕彰碑を古城の岩壁に刻したものである。

ときの白河藩主松平定信はこれを喜び、自ら「感忠銘」の題字を書いて与えた。

感忠銘碑は字搦目の地にあり、地上約八メートル・巾三メートル、上部に松平定信の感忠銘の題字を大書し、その下に、白河藩の儒学者広瀬典の撰文、賀孝啓一千里啓)の筆になる一文を岩壁に刻している。

碑文によれば文化四年秋九月に完成したことが知られる。

 

所在地 白河市字藤沢

白河市大字大字搦目(感忠銘)

所有者 白河市

 

 

 


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