教育福島0094号(1984年(S59)09月)-007page

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昭和三十九年四月から昭和四十六年三月まで、広島県教育委員会指導課で指導主事として勤務、主として中等社会科と生徒指導を担当する。昭和四十六年四月から昭和五十五年三月まで、文部省初中局中学校教育課・高等学校教育課で、教科調査官として中等社会科を担当する。その間、昭和四十五年版「高等学校学習指導要領 社会編」の編集をはじめ、昭和五十二十二年版の中学校及び高等学校学習指導要領の改訂作業に携わる。昭和五十五年四月、兵庫教育大学助教授、昭和五十九年四月、同教授となり現在に至る。

主な編著書は以下のとおりである。「中学校歴史指導の研究とその実践」(葵書房 昭48)「世界史−その展開と研究」(学事出版 昭49)「中学校社会科指導細案」(明治図書 昭49)「文学作品を利用した世界史学習」(学事昭51)「歴史教材の精選とわかる授業」(明治 昭53)「新しい歴史学習の構想」(東京法令)昭55)「社会科指導細案−公民的分野」(明治 昭56)「世界史の授業展開」(学事 昭56)「社会科のための文化人類学」(東京法令 昭57)「公民の教材研究」(明治昭57)「歴史教材書を活用したわかる授業の創造」(明治 昭59)

 

あろう。

「作品としての社会科学」(岩波書店)を著わした内田義彦氏は、かつて社会科教育のありようについて次のように述べられた。(一九八一年五月二十一日付の朝日新聞)「すでに出来上がった結果としての学説の体系を教授することに主力がおかれ、一人の人間が社会的認識をおこなっていく過程や創造していく過程は捨象されて…管理的科学体系の能率のよい受け手を養成しているにすぎませんね」と。氏は、このように社会科教育の問題点を指摘し、これも今日の社会科学が管理の学に傾斜したためだとし、そこからの脱皮の方途を“作品”として再興しようとされるのである。「“作品”とは…一般読者に向けて書かれたもので…“論文”は、同業の専門家向けに書かれて一般読者は念頭にない。…“作品”としてシロウトにでもよくわかるとどこか質が低いと見られるんですね」

我々は、社会科の授業を、“作品”としてよりは“論文”として考えていないだろうか。シロウトである子供によくわかると授業の質が低いと感じていないだろうか。「わかる授業」の創造は、“論文”としての授業を改め、子供の側に立つ“作品”としての授業づくりを行うことから始めるべきであろう。

 

なお、筆者は、“作品”としての授業づくりの基底をなす新しい教材研究の視点として、次のようなことを考えています。

 

一、固定観念からの脱却−発想の転換

(一) 分野・科目中心主義からの脱却

(二) 狭い教養主義からの脱却

(三) 旧来の個別科学的発想からの転換

 

二、受動から能動への教材研究

(一) 第三世界を視野に入れる

(二)第三の波の動きを視野に入れる

(三) 人間をその全体性においてとらえる

 

提言

 

 

 


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