教育福島0094号(1984年(S59)09月)-045page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

教育福島0094号(1984年(S59)09月)-045page


ふるさと探訪県指定重要文化財(建造物)

涼ヶ岡八幡神社本殿 及び 拝殿・幣殿

梁行二間、正面三間三戸にわたって、向拝屋根をおろした流造風の本殿と、間口七間、奥行三間の入母屋造拝殿とを、拭板敷の幣殿で繋ぐ、いわゆる権現造の形態をもつ社殿である。

本殿は、粽を持たない円柱や実肘木を支える和様三斗、さらに蛇腹式の軒支輪など、内外とも和様を基調とするが、妻には二重虹梁と大瓶束を飾るなど一部に禅宗様をとり入れた形跡もみえる。廻縁は浜床を付した切目縁と刎高欄、向拝には和様出三斗と透し彫りを施した板◆股を付するなど、全般に入念な手法によっている。板壁外面や脇障子などの文様彫刻、および内一外陣の板壁内側や天井に描かれた鮮やかな絵画は、若干時代が降るものであろう。

拝殿および幣殿の手法は本殿に準ずるが、軒組などは簡素である。

明治初年に、付近の長命寺に引き渡されたという棟札一式の行方は、現在不明であるが、神社由緒には建武年間、宇多郷の守護白川氏の臣中村六郎によって建立寄進されたとあり、『奥相志』には、元禄八年(一六九五)相馬昌胤によって再興・造営の記述がみえる。現在の建物は、構成全体にも前代以来の気分が残ることや、部材に刻まれた絵様の手法なども江戸初期を降らないことなどから、元禄八年といわれる建立時代は誤りないものと推測される。なお、屋根は当初の柿葺から銅板葺に変更(昭和十一年)されたほか、本殿向拝両側の障子窓や幣殿の欄間などの付加(昭和三十年ごろ)など、若干の改造が行われている。

所在地 相馬市坪田字涼ヶ岡五十一番地

所有者 八幡神社

郷土の文化財

郷土の文化財


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。