教育福島0097号(1984年(S59)12月)-005page

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巻頭言

 

K男に思う

 

橋谷田 千代士

 

橋谷田 千代士

 

今年三月、本校の卒業生は五百二十八名であった。Kもその一人である。ただKには本校での卒業式ではなく、福島学園(須賀川市)に出向いて卒業証書を授与したものである。

私の手より証書を受けるKの真剣な眼差し・態度は、本校における卒業生のだれよりも立派でおり、私自身深く感動した。

 

Kは暴れて手に負えない生徒であった。理由もなく友達をなぐる、ける、突き飛ばす。突然襲われる生徒は無防備でなんの身構えもないから怪我も大きい。一、二年の頃は制止し、説諭し、謝罪させ、反省させながら指導にあたってきた。暴力ばかりでない、同級生、下級生から金銭を巻きあげる。給食の飯びつに雑布水をぶちかける。三年になってからは、ますます狂暴性が増しバット、金づちなど手あたりしだいに物を持つようになり、先生にも反抗し形相を変えてくってかかる。生徒達は戦々恐々で、とても落ち着いて勉強のできる状態でなかった。

 

彼は一歳の時、母に連れ子されて継父の許にきた。離婚の原因は先夫の耐えられない暴力だったという。再婚はしたものの、先夫は何かと付きまとっていた。この子さえいなければと、母はとかく幼いKを冷たくしたという。

精神科医の診断では、MBDと情緒障害の疑いはあるが入院する程ではないとの判定。児童相談所にも入所させ矯正をはかったが、なかなか改めさせることができず苦慮の連続であった。

そんな彼は、また母と口論し、母から一万円をせしめて家出をした。郡山のパチンコ店で非行グループにさそわれ、二日後には男女四名でシンナーを吸いながら改造自動車で暴走。白バイをはね、検問を破り、四十キロにわたって逃げまわり補導されるという事件をおこしてしまった。少年鑑別所に収容され、審理の結果七月八日福島学園入所の処置となった。その日、学園に送られるKを私はふびんさと安緒の交錯する思いで見送った。

 

Kに対しては、父兄からの苦情、抗議も随分あった。だが、公立学校義務教育に携わる私達は問題生徒を安直に切り捨ててはいけない。子供の中には成長過程において、尋常でない問題を引き起こす生徒がいるかも知れない。しかし彼等もきっと気づき知ってくれる時がある。その時、尋ねる母校もないようにはしたくない。教師には生徒を卒業させる責務がある。学園には、母や私や担任も訪問するように努めた。

 

卒業したKが板前を志して長野市の料理屋に就職し、近況を話しに学校にきてくれたのはこの夏の暑いある一日であった。

(福島県中学校教育研究会長福島 市立信陵中学校校長)

 

 

 


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