教育福島0097号(1984年(S59)12月)-020page
2、武ノ内遺跡(霊山町)
ほ場整備事業に伴う発掘調査で、二カ年間継続調査となる遺跡である。現状は水田で、遺構の上部が一部削平されている部分もある。
縄文時代後期を中心とするが、一部弥生時代の遺構もある。総計七〇個ほどの埋設土器には、骨片を伴うものがあり、いくつかの配石遺構の存在とあわせて、一般生活住居のほかに、祭祀的遺構であることをうかがわせる。骨片は人骨か獣骨か今の所未鑑定で不明である。
3、荒川館(いわき市)
宅地造成工事に先立つ発掘調査で、中世の館である。調査の結果、掘立柱建物・堀・柵・門・塀・矢倉・倉庫跡などが検出された。出土した遺物の中には、中国からの輸入陶磁器である青磁、白磁の碗皿や、国産の常滑焼や瀬戸物などがある。中国陶磁器の中に染付けがみえないのは興味深い。この館の年代は、南北朝時代から室町時代までで終っている。
4、小浜古墳群(富岡町)
小浜海岸に接した高台に立地する六基の円墳からなる古墳群で、海岸侵食による破壊が進み、海没するため緊急発掘を実施した。調査の対象は二、三号墳の二基で、二号墳は墳径十二・五メートルを測る円墳で周溝を有している。周溝内からは鬼高式の古相を示す土師器が検出され、墳丘からは滑石製模造品、有袋鉄斧、鉄刃子の出土をみている。内部主体は凝灰質砂泥岩製の箱式石棺で、棺内から滑石製模造品、鉄鋏、直刀把片などが検出された。これらのことから、この古墳の造営時期は六世紀前半と考えられる。三号墳は、墳径十三・三メートルを測る円墳で、周溝を有し、北東側の周溝から意識的に破壊された須恵器や土師器が検出された。内部主体は不明である。
5、九郎五郎内遺跡(長沼町)
県営ほ場整備事業に伴う発掘調査である。遺跡は、江花川と簣子川の合流点に近い微高地に立地している。調査の結果、掘立柱建物跡三四棟、竪穴住居跡二一棟が検出された。特に、掘立柱建物跡は一間×一間の建物が多く特異である。竪穴住居跡は、出土した土師器の型式的特徴から六世紀末から七世紀にかけて造営され、掘立柱建物跡はこれより時期的に下降するものと考えられている。
長沼町九郎五郎内遺跡(現地説明会)
引き継ごう未来へ郷土の文化財
−1/26・文化財防火デー−
わが国には、建造物・絵画・彫刻・工芸品・考古資料などの優れた文化財が数多くあります。これらの文化財の多くは、木・紙・布など、火災により損害を受けやすい材質で作られています。
一月二十六日が「文化財防火デー」とされたのは、昭和二十四年のこの日に、国民的な財産であった法隆寺金堂の壁画が焼失したことと、ちょうど火災の多いシーズンに当たっているためです。何百年も保存されてきた貴重な文化財も、一度の火災で灰になってしまいます。
この日を機会に、二度と法隆寺金堂壁画の惨事を繰り返さないという決意を新たにし、私達の祖先が残した貴重な遺産を、県民みんなで守り伝えてゆきましょう。
文化財愛護シンボルマーク
このシンボルマークは、ひろげた両方の手のひらのパターンによって、日本建築の重要な要素である斗◆(組みもの)のイメージを表わし、これを三つ重ねることにより、文化財という民族の遺産を過去、現在、未来にわたり永遠に伝承していくという愛護精神を象徴したものです。