教育福島0097号(1984年(S59)12月)-044page
美術館だより−−
美術館への年賀状展へのお知らせ
年の瀬も詰まり、一九八四年の締めくくりとして様々な思いで、心と諸用の整理に追われているここと思います。
年中行事のひとつとして定着している年賀状の準備も、年末の大事な仕事として受け止めている人も多いことでしょう。毎年、心温まる創作年賀状を下さる人がいます。また、今年こそは版画にでも取り組んでみょうがなどと思いながら、印刷所の見本のひとつにお世話になる−−、このような人も多いと思います。
年賀状は、造形との身近かな触れ合いのひとつとして、学校教育や社会教育の場で、版画などとの組み合せにより有効な素材として取り入れられている。
県立美術館では、県内の小、中学生を対象に、版画、はり絵、描画などで作った楽しい年賀状を募り、「美術館への年賀状」のコーナーに展示します。自由に観覧していただけますので、子どもたちの豊かな感性と表現を楽しんでいただければと思います。
美術館への年賀状コーナー
主催 福島県立美術館
展示期間 昭和六十年一月十一日〜一月三十一日(観覧無料)
作品内容 県内の小中学生がハガキを利用して、年賀状のために本人が制作したもの一点とする。表現技法は自由とする。
送付要領 ハガキの発信人の欄に住所、氏名、学年を記入する。
締め切り 昭和六十年一月五日
顕賞 賞の授与等の顕賞は行わない。
送り先 問い合せは左記へ
〒160福島市森合字西養山一番地 美術館への年賀状係
電話 〇二四五(三一)五五一一
収蔵作品紹介6)・7)
アンドリュー・ワイエス(一九一七〜)
ワイエス(一九一七〜)は、今日のアメリカを代表する画家の一人です。フィラデルフィア郊外、ペンシルヴェニア州チャッズ・フォードに生まれ、高名な挿絵画家であった父について絵を学びました。
彼は、大都会の生活には全く無関心であるかのように、現在も生まれ故郷と、夏の間過ごすメイン州のクッシングの二つの豊かな自然に恵まれた地域と、そこに生きる人々の姿を描いています。彼の作品は、この二つの地域の自然と生活に密接に結びついた、極く私的な具体的な事実から発想されています。
「ドイツ人の住む所」は、故郷チャッズ・フォードで描かれています。ワイエスの家から丘ひとつ隔てたところに、ドイツ移民カール・ケルナーと妻アンナの住む農場があります。この老夫婦は、ワイエスにとって、幼い頃からのかけがえのない親しい隣人でした。この夫妻が別々に、そして時には一緒に、また農場の建物が、室内が、そして様々な出来事が作品に登場して来ます。つまり、この農場は、彼にとって非常に大切な《世界》なのです。「ドイツ人の住む所」は、彼の《世界》への入口付近の光景を描いたもので、古びた石の門柱と緑濃く茂る松並木、そして木々の間から見える明るい景色が一見さりげなく描かれています。
このケルナー農場の主人カールは、第一次大戦にドイツ軍に従事し、負傷して勲章を受けています。「松ぼっくり男爵」に描かれたヘルメットは、彼にとって思い出深い記念品であったのです。一方、妻アンナは、暖炉にくべるとよく燃え、香りのよい松ぼっくりを農場から拾って来るのがこの季節の日課でした。そして彼女は、恐らく、丁度手頃な大きさと形をしているという理由から、他に何といった便い途のないヘルメットを入れ物がわりに使ったのです。夫カールにとって、戦争という生と死のドラマそのものの象徴であるヘルメット。しかし、そのヘルメットが、自然と人間の営みのなかで果すもうひとつの別の意外な役割。農場へと続く道をジープで走るワイエスが、道端にこれを発見した時の驚きは、ヘルメットの由来をよく知っているだけに大きなものであったようです。
このような《発見》から生み出された作品は、何よりもその克明な描写によって人々を驚かせます。しかし、それは、決して単なる事実の再現描写ではありません。 「私の作品を身辺の風物を描いた描写主義だという人々がいる。私はそういう人々をその作品が描かれた場所へ案内することにしている。そうすると、彼らはきまって失望する。彼らの想像したような風景はどこにもないからだ」こうワイエスが語るように、事実を発見し、そこから発想し、発想を一つの作品に昇華させるために、彼は思索と習作をくり返します。こうして、《事実の背後の私の真実》へと導かれた作品は、既に、私的な具体的な事実から解放され、世界中の人々の心に、詩情豊かな世界を創造しているのです。
「ドイツ人の住む所」6)
(制昨年 一九七三年、紙・水彩。五四・六×七四・六cm)
「松ぼっくり男爵」7)
(制昨年 一九七六年、ボード・チンペラ八〇・〇×八四・五cm)