教育福島0099号(1985年(S60)02月)-005page

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巻頭言

 

飯豊の山の恵みの中で

 

田中義記

 

田中義記

 

飯豊山は古くから信仰の山として多くの人々の登山、参拝が行われた。戦前は、女人禁制、白装束で参拝した。会津地方の青少年は参拝登山しなければ一人前に認めてもらえない程であった。

当時は、水垢離をとり身を清め、年輩の先達につれられ「御山晴天、六根清浄、家内安全」と唱和、祈願し、「あやにあやにくすしく尊と、飯豊の山の神の御前を拝み奉る」と祝詞を唱えつつ登山し、一週間くらい神社に籠り肉食を断ち参拝したものであった。それは、山岳信仰の行であるとともに、今でいう社会教育であったものと思われる。

 

私は、国鉄を退職後、この山の地蔵小屋管理人を父より引き継ぎ、御山の大自然の中での生活を十年来続けている。その間、数多くの岳人と出合い、地蔵にて夏山登山者とともに自然との語らいに身を置いている。

飯豊山は、福島、山形、新潟の三県にまたがり、雄大、高峻な大自然の懐に貴重な植物

動物そして野鳥が生息している。これらの自然、山、生物は、人間界の条理と関係なく山そのものが全てを包蔵しているといえる。山は、いはば「無私なるもの」としての存在そのものである。

ところが、山の歴史を深く知り、山に登るという行為それ自体で、無私なる山は人の心と相通じる。私はいつも−−苦のない所に楽しみは求められない。常に人より苦労するところに己を制する信念が生まれる−−と山小屋で語りあうのであるが、人生も山登り同様他人の力に頼らず自力で開拓し、しかし人間として共に励まし合い、汗を流してこそ意味があり、その困難に耐えることがやがて血となり肉となって、本人を大きく成長させていくものと信じている。

このように登山は、人間の生き方を教えてくれる場である。昨今世相が乱れ、考え方や行動が自己中心的で無気力な若者が多いといわれているが、幸いなことに飯豊岳人には今の所そういう人間は見当らない。それはこの山の心で自然と人間が一体となり、人をして自づと襟を正させるものがあるからではないかと思われる。

しかしここでちょっと残念なのは、近年、高校山岳部の登山が少なくなってきていることである。社会には多くのスポーツがあるが、登山は自然と人間の関係を体で学ぶ場所であり、気象の変化、朝の濃霧、夕方の雷と危険も多いが、晴天の早朝に望む雲海からの御来光、日中の遠望、夜空に煌めく星の輝やき等自然の美しさをも教えてくれる。このような意味でも青少年の登山活動の活発化を願うものである。

 

ある岳人は言う。「富士は眺める山で、飯豊は登る山である。東北に残された唯一の格調高い山であり、高山植物の宝庫である」と、私も長くこの山にかかわりあう中で、全く同感である。

自然の恵みの中で生きる人間として、山を愛し、多くの岳人との友情を培い、自然を守り、人の心を大事にすることを次の世代へ語り継ぎたい。

(磐梯朝日国立公園飯豊山山小屋組合顧問・地蔵小屋管理人)

 

 

 


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