教育福島0099号(1985年(S60)02月)-048page
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高校生の雪の祭典
全国高等学校スキー大会
猪苗代スキー場で開催!
昭和五十九年度全国高等学校総合体育大会・第三十四回全国高等学校スキー大会は、去る二月五日〜九日まで耶麻郡猪苗代町の猪苗代スキー場で行なわれました。
同町でのこの大会は、三十九年に次いで二十一年ぶり三度目の大会となり白銀に包まれた猪苗代湖を見おろす磐梯山のスキー場に、北海道から熊本まで、全国三十二都道府県から千八十七人の選手が集合した。本県からは、男子二十六人、女子二十四人の計五十人が出場し、アルペン競技は赤植国体コース、ジャンプ競技は猪苗代シャンツェ、距離競技は見称距離コースで熱戦がくり広げられた。
猪苗代町あげての大歓迎
華やかな街頭行進
大会は五日、午後一時に街頭行進が猪苗代小学校をスタートして口火を切った。行進の沿道には、同町の小学生や町の人々が数多くつめかけ、道行く各県選手団に激励の拍手を送った。選手団は各県ともそれぞれの特色をあらわすユニフォーム姿で行進し、町の人々に笑顔でこたえたり、子どもたちと握手したりと、スキー大会ならではのふん囲気をもりあげた。
開会式は猪苗代高校、会津工業高校ブラスバンド部、猪苗代町吹奏楽団の演奏で始まり、菊地力衛県高体連スキー部部長が力強く開式宣言をした。このあと大野慎一郎全国高体連会長、佐藤光信猪苗代町長のあいさつがあり、長谷川勲猪苗代高スキー部主将が「郷土の名誉と母校の栄誉のため正々堂々と競技することを誓います」と選手宣誓を行った。
まさに耐久レースの距離競技
女子十キロ距離競技
スキーの距離競技は体力の限界にいどむ耐久レースであった。スキーをはいて歩く、登る、すべると起伏のあるコースをただひたすら駆け抜ける。
三十秒間隔でスタートとするが、寒さと緊張の中、すぐに汗と鼻みずにまみれ、ハーハーという息使いのみが白銀のコースに響くのみである。
本県期待の遠藤まゆみ選手(猪苗代高)は上位入賞が期待されたが、苦手のベタ雪で調子をとりもどせず三十三位と不本意な成績、その他松本記代子(会津女)、斎藤清恵(西会津)選手等自己記録の更新はなされたものの全国レベルには及ばなかった。
急斜面を舞う大会の華
男子大回転競技
男子の大回転は全長千二百三十メートル、平均十七度五十二分の傾斜、最大斜度は約三十五度という急斜面を猛スピードで旗門をくぐり抜ける競技である。選手がすべりおりると、冷たい空気を切りさくような音が響く、まさに危険と背中あわせの競技である。
本県では若松商業高校の平野公樹選手の活躍が期待されたが一分十六秒九十八で二十五位であった。しかしタイム差の中に二十三人の選手がひしめく激戦で同選手の健闘がたたえられる。一方スタート順位が遅く不利であった星公二(若松商)、大竹健一(猪苗代高)選手らも入賞は逸したが気迫あるすべりを見せてくれた。
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男子大回転・星公二選手(若松商)
大会を支えた多くの人々
猪苗代町民、小中学生、猪苗代高校生等、裏方で大活躍中
猪苗代町のスキー関係者は、大会前から競技場の整備、保守でそれこそ寝食を忘れての協力があり、大会運営の円滑化に最大の努力をおしまなかった。
また猪苗代高校生も、大会のプラカード嬢、距離や回転競技の雪踏み、コース整備等、同校先生方とともに連日大会運営を支えてくれた。その様子を聞いた佐藤昌志教育長も開会式後の本県選手への激励式で「周囲のみなさんの応援と期待に応えて頑張ってほしい」とのあいさつがあった。
全体的に天候の急変かと思うと気温の上昇とコンディションづくりに苦労をした本大会であったが、星選手、平野選手など来年への足がかりをつかんだことも見逃せない成果であった。
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