教育福島0101号(1985年(S60)06月)-047page
世界の教育は、今。
海外教育事情の紹介
▲昭和59年度文部省教員海外派遣福島県第71団
(短期)59.11.5〜59.11.20メトリアス総合学校での月例合奏発表会
固有の歴史を踏まえた教育
−ヨーロツパの個性に学ぶ
海外の教育事情視察に参加して、大きな「カルチャー・ショック」を受けた。
ブルガリアのピオニールを始めとする共産主義教育の生活全般への浸透ぶり、中世商工業の中心地として栄えたベルギー、文化の中心地としてのフランスのパリ、それぞれに個性あふれた国々であるが、これらを理解する上で、特に重要な点は、教育において、言語、歴史、そして芸術を大切にしていることである。これは、人種の違い、その国固有の歴史を踏まえながら、近隣あるいは世界の国々と接触を繰り返し、そのあるべき姿を現実的に求めてきた結果からのものであるように思える。この意味ですべてがしたたかに生きている。
例えば、日本と比べて進路の決定が早期から行われ、その方法も、社会の要請を受けた大胆な能力主義的傾向が強い。ブルガリアでの、集団および個の競争をとり入れた教育、ベルギーでは、早期から職業教育の教育課程が位置づけられている。反面、能力のある児童・生徒に対する伸長への配慮も十分になされている。
人々の、表情豊かな身ぶり・手ぶりの話しぶりに「したたか」に生きている人々の力を感じた。
[椎名 隆福島県立北沢又小学校 教諭]
▲同第72団(短期)59.11.5〜59.11.20セクサルドの小学校(工作)〜カギッ子たちの夜の活動
整備された社会教育施設
−街角に少ない子どもたち
ブダペストの街は印象的であった。ネオゴシック様式の美しい教会や国会議事堂など落ち着いた色調の建て物が多い。
そのブダペストで、下校途中の数人の少女に出会ったのは、ブダ地区の石畳の道を歩いていたときであった。ヨーロッパで唯一のアジア系民族のマジャール族であるが、少女たちの整った顔だち、青く澄んだ瞳、すき透るような肌、そして金髪は美しく、まったくアジア的ではなかった。それは後日訪問したセクサルドの子どもたちも同じであった。
しかし、我々が子どもたちを街角で見かけることは、その後まれであった。季節の関係もあろうが、公園や街角、路地裏で遊ぶ子どもの姿を見ることはなかった。下校後の子どもたちは、どこへ行ったのだろうか。
ある学校では、カギッ子のため夕方遅くまでクラブ活動を行っていた。他はスポーツなどのサークル活動に参加しているという。
社会教育関係の施設や指導者が整っていることはすばらしいが、組織された中でしか過すことのない子どもをどう考えたらよいか。与えすぎるがゆえに、なにかが見失われているように思われた。
[菅野弘明福島市立水俣小学校 教頭]